2016年8月16日火曜日

片付ける事が、多々有る・・・・・

昨晩遅くまで、データーの修正・入力・出力・まとめる等々を行っていたが、今朝も、その続きを行っている・・・・

能力が無い、私の場合・・・・一歩の歩幅も狭く・・・・中々、先には進まないが続ける事が私に与えられた、使命と頑張っている・・

何時も思う事だが・・・・・先ず済ませる・・優先する・・・之が力が無い私の場合、人様に対しての責任に成ってしまう・・・・自分の事を済ませる力が有れば、優秀と思うし、若し出来なくても、人様には、何の影響も無いし、迷惑をかける事も無い・・・・

しかし、家庭人として・地域住民として・・・市民・県民・国民としての義務・責任が有る・・・・この部分を処理す・・・・・・

簡単に出来る力がある人も居られるし・・・・苦労する立場の人も居られる・・・・

この部分は、力が有る・無いに関係なく、平等に存在するし、その立場等々でも若干の変化・配慮も変化する部分だと思う・・・・・

優秀では無いが、私が出来る部分も必ず有るし・・・・この体を世に出してくれた親の、恩にも答える義務が有る・・・・・

母が言っていた、仁義は、借金しても絶対に行う・・・・この思いだと思う・・・・恩を感じ取れる人に成って欲しいという、母の思いだと私は考えている・・・・

勿論、三流以下の私の場合、一般的と言う恩のお返しは出来ないと思うが、少なくとも努力は必要だと考えています。

その為に、母は、先ず済ませる・・・この済ませる事を確りしてから、自分事を行う・・・・・之を何時も言っていた・・・・

空想のユートピアで生きている等々、有りえ無いし・・・・現実の実社会で生かされている・・・・この実社会の、小さな単位の、家族・地域・・・この持ち場で、どう働くかが大事な部分に成る・・・

何処に、根を張って、生きているか????・・・・・この根元を確りする・・・この行動が、幹も枯れ、細って・・・・・弱々しく、見かけも悪いが、生き続ける基盤だと私は考えている・・・・

現実の大きな実社会は、暴風雨が吹き荒れる世界だと私は考えている・・・・この中で耐え・忍為の、弱い立場の知恵だと考えている・・・・・

五十にして天命をしる。足元の大事さを知る事と思っている・・・・この部分の使命を確り、行なえば、結果として、天寿の花を咲かせる事が出来る、可能性が有るという事だと思う・・・

あと少しで、データーの入力の、部分も終了・・・・

その後、会計責任者と御仏前・寸志等々の、頂物の整理・等々が今日は有る・・・

その後は、隣組の恩通夜の、受付等々が待っている・・・・

先ず、するべき事・・・・片付ける部分を、確り行う・・・・・

簡単に済ませる力が無い、私は、こんな事さえ、全力での取組みになる・・・・笑われるレベルである・・・・
50を過ぎた人間が、我が子さえ動かす力が無い・・・・・之が現実の私の力である・・・力が無ければ、自ずと、答えは、自分自身でする、これしか方法はない・・・・・


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