色んな人、殆どが住み難い世の中に成って行くと言われる・・・・
何故か、皆が住み難い世の中を望んでいるからに成る・・・・・・
しかし、個人としての思い、理想は性善説から考えると、良い方向に向けようと考えていると思う・・・・・しかし、何かが足らない事に成る。
何処かに諦めが有り、逃げる命が有るからだと私は考えます。
私は、不幸は、環境が問題でないと考えている・・・・・不幸の根源はこの諦めが、後悔に成り、悔いに繋がり、妬みに繋がり、嫉妬・恨みに繋がっていく・・・この連鎖が、悲惨だと考えています。
各々、環境を選ぶ権利も無い・・・いい環境で暮らしたいと考えても、誰かが創り続ける環境の中で生きるしか方法はない・・・・国を選んで生まれる事も出来ない、国力で差が有る当然である。
之が環境・・・・・・どの環境下でも、幸せ・不幸という考えが存在するし考えるのが人間だと思います。
環境の変革が出来ないので諦める・・・・・焼け石に水の無駄をしないという利口な考え方が蔓延している
結局、住み難い世にしているのは、人の心の働きだと考えています。
人の血を啜る・・・・吸血鬼・・・映画等に有るイメージだと姿かたちも近寄りがたい・・・・しかし現実社会には、人の利を貪る、モット怖い吸血鬼が存在する・・・・
努力もしないで、人が回りに寄ってくる環境を作り上げている・・・・・力が有るというイメージが有れば不思議にその人に集まる・・・・・・お互いが利を欲しがって集まりだす・・・・結果、本当に怖い吸血鬼が知らず知らずに利を吸い取っている・・・・その為に、後で騙されたや恨み等が出て後悔する・・・・・
しかし、利を吸い取れない、生きる屍にはハエも寄り付かない・・・・・逆に利を与えないとその人自体が存在できない・・・・その為に利を与えても良いと考えている人しか、側に近づかない・・・結局、利益の分配の考えの違いだと私は考えています。
与えたくない利を取られると、盗まれたとなる・・・・・与えてもよい利を与えたら、盗まれたとは思わない・・・・
考え方では、社会で一般的に言われる凄い人は、利を上手く吸収できる人に成る。その利で権威が付、人が集まる・・・・しかし、集まる人も利を求めて集まっている可能性も有る。
単純な足し算の計算・・・・1000の力の人に10の力の人が100人集まる・・・・総力2000に成る・・・・しかし時間が経つと、1000の力の人は1100に成っていて、100人の人は99の力に成っている・・・・発展性や変化が無い場合この様に私は考えています。
又之を続けないと、その中心の人の権威が無くなり、集団の維持が出来ない・・・・
集団の中の権力闘争・・・空しいと思います。
人が生きた、証・・・・・之を残す為に、私は生きていると思います。しかし、その証が何かで価値観も変る
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