包容力は減りつつ有る・・・しかし、未だに、己だけには執着していない・・・・私も動物、如何しても自己防衛本能が有る・・・ギリギリの環境になれば、己本意主義に成っても、生物だから仕方が無いと思うし、人間も動物、この宿命は逃れられないと思う。要は、究極の状態に成らなければ、他を包容出来る器が有ると言う事・・・・これが有る間が、環境が良いと言うことだし、私には幸せだし、感謝と言うことに成る。
余裕が有ると言う事だし、此が人間力だし、器だし、力だと私は考えている。勿論、私は、人間としては三流以下のレベル、それでも人間というギリギリの部分は有ると思う。それを信じて生きているとも言える。
金欠の私だが・・・四男が、彼女がお金を管理しているで、お金が無い・・・要は、せびっていることに成る。
お金を持たない私にも、せびる・・・・哀れと思い、財布を渡して数千円しか入っていないが、渡した。
友達が外で待っているようなので、そのまま、出掛けて行ったが・・・・
何に使うか解らない、捨て銭かもしれないが・・・・私も私以外の役に立つ事が出来ている。感謝と成る。
その際、私の体重が60キロを割り・・・50キロ代に成ったと話したら・・・四男が、キツイかも知れないが体を動かせ・筋力を付けろと行ってくれた有り難い・・・
しかし、不思議に、体調、キツサや浮腫等々の、症状は和らいでいる。
腎臓の機能が3割程度と言われているので、3割程度で維持できる、体に成れば、対応も出来ると私は勝手に思っている。110キロを超えた時代もあるし、それを維持していた腎臓・・・勿論、暴飲暴食を繰り返していたので、腎臓も大変な仕事を行っていたと思う。
その能力が無いなら、能力に似合う体に成れば・・・・・と・・考えている。
劣っているが、全く、仕えない体ではない・・・仕える部分は、使いたいし、当然、人様の為に使った方が、私は輝くと思っている・・・
頂いた命・・・輝かせなければ、頂いた恩に応えることが出来ない。
頭を持つ上げる事は出来ない、それ程、色々、世間様から頂いている。感謝に成るし、その感謝を返そうと、色々行っていたが、この考えが間違いだったようだ・・・当然事・・此に気付かなかった・・・結果、大病を患い、我身も思うように成らない状態に成った・・・・面倒だしキツイし大変だし、損だが、人様の為と、私の限界・不可能を突破していたときが幸せだったし、幸福だった・・・その環境を与えてくれた人に感謝・・・この思いが少なく、無かったと言う事・・・要は、人間分際で罰が当たったと言う事になる。罰が当たったと思えるだけでも幸せで有る。
思わなければ、全ての負や損は、他の責任と、責任の転換、妬み・恨みに繋がっていく・・・・有り難い・感謝に成る。
捉え方と何度も書いているが、私も、体に染みついた、世間からの損得勘定の価値観が入り込んでいる。此が結果的に、不幸にしていることに成る。
全て使い、使い果たしてから、この世を去れたら最高だと思う。残すから未練がある。残らないくらいに使い倒す・・・己の身だから出来る事に成る・・・・
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