体調は回復方向で有るが・・・未だに無理は出来ない・・・今朝も、二人の息子を起し、五男は寝坊したために、会社まで送り届ける・・・・この作業を4時前から開始・・・・三池から帰ってきた8時過ぎに今度は、嫁を職場まで送り届け・・・100キロ近い走行を行って、帰って来た。
それから、朝食を頂き・・・洗濯・コインランドリーに乾燥・・・・等々で、体が限界・・・その後は、ベットで過している。
リハビリと考えて、少しは無理をと考えているが、此が難しい、直ぐに超えてしまう。
6時には、嫁の退社時間に合わせて、職場で待つ事に成る。その為に体力の回復が求められるし、同じ時間帯に五男を駅に迎えに行く可能性も有るので、時間管理が大変・・・・
今は、心・命へと、脱皮を続けていると考えてる。唯物的部分が無くし続けている。失うと思っていたが、最近は、心・命を磨くために脱皮をしていると捉えるようにしている。
当然、今までの機能・能力が無くなる・・・しかし、新たに気付く部分が出てくる。心・命・・・・生命とは???と成る。
よく五感と言われる部分も、様は、物質世界でそれを感じ取るための能力・・・何の為に、当然、生き残るためだと思うが・・・厳密に言えば、生きていればということ、誰しも生きたいと思っている、それなのに何故、競争が始まり、争いが始まるのか????負ければ極端に言えば死と言うことになる。
生か死か・・この二極を避ける事は出来ないが、急いで区別する必要も無いと思うし、そのレベルに人間は、成っていると私は信じたい。
しかし、現実にはその分別をする、方向、策を講じて・・・人を区別する。勝ち組・負け組として、当然、勝ち組も負け組も生き続けている。
勝ち組は、負け組が邪魔だと思うなら、逆に、負け組は、勝ち組に仕返しをしたいと考える事にも成る。
全て、物質世界で、優位物的価値観で、事を考えている、その人間は、生物で有り、生命で有る。何故、命、心に主眼が置かれないのか???
歳を重ねる毎に、私は、唯物的部分を脱皮し続けてきた。普通に書けば失い続けてきた。負け組と言われるかも知れないが・・・結果、心・命が気になるようになってきた。
此も、社会に対しての感謝に繋がる。
世の中、見ていると、何故という事が多々有る、何故、こんな事に競って人を蹴落としても先に進もうとするのか????・・・・・人とは何故、狭い、一点を目指せと言われ、大勢でその点を目指すのか????当然、キャパが無い・・・・殆どが、落ちこぼれになる事が解っていて、何故、競い争い、先を急ぐのか・・・・・物質世界と、無・・・死の二局になってしまっている。当然、死にたくない、だから、物質を追い続ける。
この価値観に、心や、命や根本の生命と言う部分が無い・・・人は、消耗品なの物質なのか????・・・・私は違うと思う、
その証拠が、今、大病を患っていても、生きている、生命を光らせる事が未だに出来てる。これで十分だと思うように成ってきた。
仏教思想に有るが、生命の鍛錬の為に、生きているという、今世・・・鍛錬なら、当然、楽なわけは無い・・・・己の限界を超える、レベルに到達しなければ、別レベルを得る事は出来ない。
沢山鍛錬し、柔道で言えば、黒帯レベルに成りたいと思っている。その為の今・・・
一杯、恵まれた人生だった・・・平和という時代で生きられた・・・感謝に成る。唯物的な部分も恵まれていた。今の環境は、幼い頃描いていた夢以上の世界に成っている。勿論、物質的で有る。
これ以上求めれば、申し訳ないと思える・・・・
何の為に、物質に拘ったのか???此が、幸せと思い込んでいた。しかし、心・命は、空しさだけが、有るだけ・・・輝く等無い・・・・
私の場合、鬼畜の命が強いから、物質・唯物的機能を失う方向に成ったと思う。だから、失うで無く、脱皮と捉えているし、少しでも人間のレベルに近づきたい。
嫁を迎えに行く
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