私は、差別主義者と自称しているので、求める人も居るし、その逆の求めない人も居ると言える、平等主義者なら当然、平等に扱えるので、その様な区別も存在しないと思う・・・・・
その為に、私の場合だが、3種類の人が私の回りに居る。必要な人と・不必要な人・残るのはどうでも良い人と言う括りになる。
差別主義者と言う事になるし、平等主義者ならこの様な区別も無いと言う事になる。
結果、私が求めている人も居るし、その逆の求めていない人も居る。勿論どうでも良い人も居る。
人として、レベルが低いし、劣っている私だから、この様に捉えていることに成る。
勿論、理想だが、全ての人が必要と思える様に成りたいと日頃、思うよう頑張っているが、己の命に潜む、鬼畜の命がそれを阻害している。
この様な私だから、言える事に成る。
嫌いな人も居る。好きな人も居る。どうでも良い人が大多数という事にも成る。
この様に自称するので、異端児・変わり者と扱われる。
普通・一般とは????と直ぐに考える事に成る。
あたしの場合、私に都合が良い、人が、求めている人に成る。当然、この様な人が求められる人と言う事にも成る。
その様な人が居るのか????・・・居ない・・・
だから、育てる必要性が有ると成る。
当然、相手も都合がある。その為に、多くの人を輩出しなければ、求める人とは成らないことに成る。
相手の都合も考えないとなれば、奴隷して使う事に成る。これこそ人権虫だと私は考えている。強制と捉えられる・・その様に捉えられない使い方、捉え方・・・等々が育て方になる。
勿論、普通言われる人、一般的人は、考える必要も無いし、人を区別等していないと思うし、発言だけを信じれば「生老病死」さえも克服しているように思える。本当にそうなのか、単純に見栄だけなのか????・・・私は、解らない・・・解るのは本人だけになる。
間違いが解ったなら、訂正すれば済むが・・・遅れると当然、大変な事に成る。
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