2023年8月15日火曜日

仏さん参り・・・

 昨日までで、盆の仏さん参り・・・粗、終了させた。

本来、墓・納骨堂も回っていたが、今の私の体では無理、若いときに行なっていたので、あの世の人達も許してくれていると思うが、それも解らない、厳しい人も居たので、この位の病でと叱咤されているのかも知れない。

この様に思うだけでも、供養に繋がっていると思うし、何の為の供養なのか???己を見失わず、己を見つめるためだと私は思っている。

特に、叱ってくれていた先輩等々が、結果的に亡くなっている。その為に、毎年、私を叱ってくれる人が減り続けている。私の様に三流の人間は、直ぐに調子に乗る傾向が有るので、叱咤してくれる人が、居なければ、糸の切れた凧状態に成る。

私は己に対しての戒めという部分も含みで、仏さん参りを行なっているし、当然、私と同じ歳、後輩も彼の世に先に旅立った者も居る。その人達とは、共に未来を夢見ていたので、近状報告を兼ねて、参っている。

今回も、父の学友が昨年秋に亡くなっている。同じ地域で共に過されていた人・・・・当然、初盆の為に、昨日、仏さん参りを行なってきた。

父の名代としての立場も有る。当然、母の名代としての立場も有るし、〇〇家としての立場も有る。

父母、先祖が縁し、共に過した、感謝の思いも何かの形で返す必要がある。もし、これを後継者が怠れば、簡単に書けば、早く死んだ方が、得と言う考えにもなっていく、理由は、仁義をする必要が死んでいるので無いと言う事、生き残った方が仁義を続けていくことになる。

現代の損得感情論で言えば、長生きが損という事にも成る。その部分のw埋めるのが、後継者、若者の背中に掛かっているという事に成る。

それを、教える必要も、当然、有る。

私は、祖父から、この家から助けて貰った等々の、事を多々聞いてきた。又、親の生き方を見てきたので、誰に迷惑を掛けたか等々、当然、全てが解っているわけで亡いが、解っている部分は、出来るだけ、後始末、対処したいと考えている。

現代の感覚だと、旅の恥は掻き捨て・・・この旅が今は人生になっている。要は、全ての責務を放棄した方が、楽しい、旅が出来ると言うこと・・・私は、責務を果たしてから旅に出たいと考えている。その為に、この世は、責務を果たす場だと考えている、旅立つ時は彼の世に行く時と捉えているが・・・・現代は、この世が旅と思っている人も多いように感じる。

結果、今が楽しければ・・この一点だけで生きているなら、当然、生きる事で作りだしている、負は誰が処理していくのか???又、社会に有る負は誰が処理していくのか????当然、負の処理がされず、溜まり続ける事に成る。この様な世界を地獄という・・・・しかし、当事者は俺、関せず、己さえ楽ならと、全ての人がその様に思っている世界、考えれば怖い世界に成る。

誰も、責務を負わない・・・これが意味することは、崩壊・破壊・破滅に繋がる。

この様な事を、再度、考えさせる日が、盆と私は思っている。

又、今日は、先の大戦の終戦記念日でも有る。

日本国は、何の為に戦ったのか???・・・・綺麗事かも知れないが、共存共栄の為に、戦い続けた。差別を無くしたい、その為に、多くの若い命が費やされた。

勿論、終戦日だが、その後も闘いは続いた、南方では独立の為に、その国に残って、その国の人と共に、闘い、西欧列強から独立を勝ち取られた、先人達も居た。

その国の為に、身を挺して守り抜く・・・身を捧げる、何の為か???、守る為で有る。勝つために、身を投げ出すことは基本難しい、しかし、大事と思えるものを守る為なら、人は何故かそれが出来る。

これを否定しているのが現代の教育でも有る。

結果、覚悟が感じられない、人が増え続けている。浮き草稼業と思える人達になる。

覚悟が確り、決まっている人は、少々の事では揺るがない・・・・結果、騙されも難い・・・・先導も誘導も難しい人に成る。

この様は人は偏屈の頑固者と言われるが、結果として、揺るがない確りしたポジションを持っておられる。

この様な人を今は社会が求めていない、先導や誘導に、直ぐに乗る人達を求め、作りだしている。

要は、力あるが我から言えば、奴隷と同じと言う事・・・・それに気付くのか???・・・これも、今日という8月15日の日になる。

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