嫁が帰って来た・・・誰も居ない、不安が怖さに成っていたが、一安心・・・有難い・・・我が体も思う様に成らないと、誰かが~~~と甘える気持ちが私の場合ある。
強くなりたいと思って生きてきたが、最近、弱くなっている。当然の事だが、私だけはと対処も考えていたつもりだが、想定から変わってきた。
思う様に成らないのが人生だし、それを楽しむ為には確りした想定が大事だと思っていたが、想定がずれる事も有るし、ずれない事が奇跡的な事に成ると思う。
よく人は自立が大事だと言われる、自立、遅いが我が、下の息子二人がこの時期に成っている。しかし、彼達の自立の捉え方が、子供、甘い・・・字の如く、己の足で立つ事と思っているし、背は当然空荷が基本、荷が有る事が平等でないし、被害者意識から始まる、自立、反抗期の若者の価値観と成る。
本来、自立とは、背に背負っているものも含みで立ち上がる事に成るし、背負える限界まで背負い・・・すると背負いきれなかった事に悔いが残るし、力不足、当然、自立する力不足を感じる、この状態が大人の独り立ちだと私は、考えている。
要は、自立の捉え方も色々、ボロボロ・汚い・臭くても確りと自立している人が居る。
逆に、ボロボロ・汚い・臭い現実は、己の責任でなく、他の責任、本来の己は、一流で綺麗で香りが良い人間と勝手に思い込んでいる、要は思春期の青年と同じと言う事に成る。要は、人が成長過程と言う事、その成長を促す、人も当然、周りに必要に成るし、この立場、当然、嫌われる・・・要は、この時期の親と言う思いのある人に成るし、当然、嫌われる事に成る。
何故、今、書くのか????・・・己の努力、思いでどうにも成らない時が有る。側に居てくれるだけで助かる・・・この時期に私が成っていると言う事、己の事しか考えない人が、側に何人居ても、私には意味が無い・・・他の人の事を考える、意識でき、言動が出来る人が欲しくなっていると言う、私の我儘に成る。
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