隣の芝はよく見える・・・西欧の諺のようだが・・・・己の現状より他の方が良く見える傾向が有るという事を表しているし、この様な方向で人を誘導・先導する流れも現実に有る。
私は、何度も、分相応・・・自業自得と書いてきた。要は、桜梅桃李と言う事・・・目の前に有る、己が立っている場所が、己の場所だし、生きる場所という事・・・・当然、他と比べれば、色々違いが有るし、有ることが必然で有る。
この違いを、どう捉え、改善していくか???此を問われているのが、生きると言うことに成る。
間違っても楽だから、簡単だからと逃げる方向を選んでは駄目だと私は思っている。それを言っているのが、隣の芝はよく見えるという諺だと私は考えている。
此も何度が書いているが、私の様な異端は、地獄に落ちる等々言われる。
要は、誘導・先導したいという人達から見えれば扱いにくいタイプに成るし、この様な価値観が蔓延することを避けるためにも、阻害される不必要とされる方向に成る。
仮に地獄とは????・・・私の本性は、鬼畜で有る。鬼畜が住みやすく心地よく感じる世界・・・この世界で無く、心地よく思わない世界に行くと言うことに成る。
鬼・畜生が心地よく思わない世界????・・・・
要は、天国と言う所も、分相応・桜梅桃李で違うと言う事・・・当然、地獄も違うと言うことに成る。
此を、この形と一極化する流れが存在している。結果、幸せの形さえ固定化する流れが有るし、不幸も一極に固定化する流れが有るという事・・・・
要は、価値観の多様化という事は、権力側、統治側には面倒な方向に成る。一つの価値観に集約した方が、人を動かしやすい・・・
その為に、この方向が~~~~と言う、流れが有るし、当然、正しいとは言わないが、全てがその方向を示している。
注意が必要という事・・・・・苦も損も感じさせない・・フ~~~で済む程度の話で、人を誘導していく・・・
権力者、勿論、色々有ると思うが、仮に、利は己、負は他人という人なら・・・どんな人を望んでいるのか、当然、利は権力者へ・・・負は私にと言う人を望んでいる、しかし、それを、ストレートに表現すれば、同じ、利は私、負は他人という人達なので、耳に入らないし、権力者として認めない方向に成る。結果として、耳障りの良い、利他の人が増えることを希望する。等々、言っていれば、誰しも耳障りが良いから、何~~~と凶暴になる人も居ない・・・しかし、何度が書いているが、利他の対義語は、負己に成る。負は己が背負うと言うこと、この言葉に成ると、何~~~と思う人も一気に増える。
しかし、一端、利他は大事と誘導され、それに賛同してしまったら、当然、負己を求められても、大声で有りえないと言えなくなる。
私は、何度も書くように、鬼畜の命が強い、結果その様な環境や人達と縁してしまう。当然、何故、可哀想に大変だな~~~~等々、思うから、どうすれば改善するか???この方向に向かい出す。
考えようでは、己の鬼畜の命を、この経験、作業で、薄めている感じがする。本来は鬼・・・・しかし、人間に近づいていると言う事になる。
要は、鬼畜の環境、命で生まれた事に感謝となる。
逆に、今は、人間として生まれたのに、何故、負や損から逃げ・避けようとして、鬼畜のレベルに身を落とそうとしているのか????・・・
当然、その命、鬼畜の命が望む世界を創り出すし、己もそこを好むようになる。勿論、意識では違うと思っていても、成ってしまう矛盾が、地獄の苦しみに匹敵する。
要は、命の矛盾、現実の矛盾に対しての、明確な答えを持たないまま過ごす、此を地獄と言うし、この答えを見つけ出すまで、無限に、この命のリズムが続くと言うことにも成る。
仏は、天国に居るでない・・・全ての次元に居る・・レベルに居る・・・違う環境に居るでない・・・・今、己の周り、己の中にも居る。
それを気付くことが出来るかが、生きる意味で大きく違う事に成る。
鬼畜の命の私、この思いが無かれば、生きていないと思うし、良くても刑務所暮らしだと思う。
此が、現実と思えば、今の環境、レベルは、幸せだし、幸福なことになる。勿論、人としての感覚で、鬼畜の命のままの本望は、先に書いた野垂れ死にの状態を望むと思うが・・・
桜は桜の幸せが有る。梅は梅の・・・桃・李も当然有るという事だし、違うと言うことになる。
しかし、何故、人間は、全てを求めすぎると思う。利に対しては貪欲すぎる・・・同じくらい、負に対しても貪欲に欲しいと言う人が居ても良いと思うが・・・・
差別主義者の私だから言えるし、女も男も違いが有るし、幸せの形も違う、当然、人の数違う・・・此が私の価値観に成る、結果、差別主義者と自称している。
全てが平等で同じ、此を求める、不可能だと思う。座敷犬と猟犬と同じ犬だが、取り扱い方も違う・・又、彼達の幸せ感も違うと思う。
全てが違うのに、人間だけは同じ・・・不思議な世界だと思う。
それなら、正しいのは何が基準なのか、要は強い立場、白人・キリスト教等々の価値観が正しいし、正しいから正義、正義だからルールを巻単に帰ることが出来るし、当然、己に都合が良い方向のルールを作ることになる。自国ファースト、無いが悪い・・・此が通用する世界に成ってきたのに、平等という、言葉で、力ない国々を支配、しようとしている。
い
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