命の年齢・・・私の勝手な思いに成るが・・・人間の寿命と言う意味でない・・・
私の体は物質で出来たいる・・・誰しも解っていると思うが・・・全て宇宙の今までの営みで作られた物質で出来ている。
この様に考えれば、地球上に今は住んでいる命だが・・・・地球の年齢46億年以上の、歴史が有ると言う事に成る。
今の宇宙の誕生から136億年を言われている。私の命は、136億歳の年齢に成る。しかし、私は、この年数も?????と成る。
これも考えようである。今世と言う短い期間の人間としての寿命・・・当然、死ぬ時までになる。限りが有ると言う事にもなる。
しかし、私は限りが無いと思っている。要は、過去世が有ると言う価値観を持っている為に成る。
勿論、過去世が人間とは限らないが、何かの命として表れていたと考えている。
駅伝を例にブログにも書いているが、今世の死は過程で中間決算の様なものと思っている。
この価値観が薄れれば、今世だけ、富を得る、その為には多くの不幸な人を輩出しても良いと言う方向に進む・・・それを規制するために道徳と言うものが発生するが、それでも抑制が出来なかったから、この様な価値観の人には絶対的、力、神が~~~~と戒める、死んだ後に等々に成って行く・・・
しかし、時代が進めば死んだとき等々、誰も解らない、要は今、この今さえ良ければ、この方向に向かう事は、誰しも解ると思う。
要は、良い意味で人が利口に成って行くために成る。この利口は知識に成る。
しかし、知識も一極に傾きだし、その様な人の都合が良い、知識しか耳に入らない状態に成る。
要は、間違っている知識かもしれないが・・・みんなが同じ方向に進んでいれば、人との対比で己を見ると言う価値観、怖さも減るし、もし、進んでいる方向が、滝から落ちると成っていても、俺は優秀だから俺だけは助かると思っているし、その思いを確実化するために、信仰等に頼る人も出て来る。
私は意味が違うと考えている。
宇宙が出来た瞬間・・若しかすると、それ以前の宇宙が有ったのかもしれない・・・今、人間の知識で解る範囲は138億年前からの出発に成っている。
これも、今後、変わる可能性もある。
若し、うちゅいう誕生瞬間からの歴史が、命に刻まれていると考えれば、命の重さ・深さも解ると思うが、想像も出来な、重さと深さだと私は思う。
生まれ、死ぬこれを、永遠に続けている・・勿論、仏法だと成仏できるまでとも言われているが・・・成仏とは、私の見解だと±0の状態だと考えている。この状態に成るまで、生死を繰り返すのが命・生命だと考えている。当然、どの様な姿で生まれるかも、色々になる。
ある人に言ったことが有るが、動きたくない、永遠にじ~~~としていたいと思い・願って、死んだら・・・来世は石に生まれるかもしれない・・・勿論、生命では無いが、物にも生命が宿るとも言われる。
人間も物質で出来ている。単純に書けば物と同じ、しかし、確り命が有ると感覚的に分っている。
無限に思える時間が有れば、変化しないと思えるものも変化し、動く可能性が有る。
鉱物の水晶・・固有振動が有る。動いていると言う事にもなるし、規則性が有ると言う事・・・クオーツ時計の原理に成る。
片道切符だが・・終わりが無い終点がない、永遠な旅をしているのと同じ、途中下車は何度も有るが・・±0に成るまで、次ぐと私は思っている。
短い時間軸で、今世だけと思っているなら己の欲の為に、何をしても良いと成る・・・要は、平等性が取れないと成る。
不平等に成らないように、システムが出来上がっていると思う。
平等主義者の多い、日本国の、優秀で一流の人なら、当然と言う事に成る。
人様と比べ、己だけは当然、得したと望む事は、他は不幸が良いと言っている事と同じになる。
自業自得、±0
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