家からお金が、水のように無くなっている。下二人の息子たちも心配している。
家長たる私が倒れた。私の人生計画では、還暦を超えたら隠居・・・理由は、父というより、先祖・先人の残した後始末が、後継者となる子孫には責任が有ると私は考えている。しかし、私の現実の実力から想像を絶する負を背負うことになる・・当然、想像しない苦労をすることになるし、体にも負担が当然あると考え・・・私が糧を稼げる歳は、60歳までと考えていたし、その後は、死ぬこれで良しと考えていた。
要は、後始末のために、この世に生まれたという考えになる。
当然、己自身が負を作る場合も有る・・・できれば、家族は小さくと考えていたが・・・結果的に、五人の息子に恵まれたというより、苦労を背負う事にもなった・・・
これが、今、私を生かしてくれている。本来なら、死んでいた人間・・・
未だに、仏壇に手を合わせると、先に逝った友等に、何故、迎えに来ない・・なぜ・なぜと・・・涙が落ちる・・・
未だ、私に余力が有るのか???・・・何をせろと言っているのか???と耳を澄ましても聞こえない・・・結果、涙が・・・・
正直、私は、祈るということが嫌いだ・・・・己が動けないから祈ると思っている。祈るくらいなら動け・・・これが私の考えになる。
しかし、今は、祈るしかできない状態に近づいてきた・・・これが悔しい・・・ある人は、人の凄いことは祈れることと言っていたが・・・、しっかりした意味が良くわからない・・・祈るより行動と未だに思う。
昨日、パソコンが壊れ・・・結果的に、お金が解決した・・・当然、私は数か月、殆ど稼ぎが無い・・・これが意味することは、家族に迷惑をかけたと言う事・・・家長として失格になるので・・・今できる事と・・・少し無理したが・・・事務所前の植木の手入れを終えた。
素人レベルだが・・・職人を雇うと1万円取られる。
節約になるし、お盆、叔父たちも私たち家族の事を心配しておられる。少しでも安心してもらえるように、確りとお盆の法事を済ませたいと考えています。
要は、全てが人様のためのようだが、結果は己のためになる。
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