2022年3月2日水曜日

先人に感謝・・・・

 私は、三流だし、劣っているが・・・その理由は己自身の問題と成る。

現代は平等だし、全ての人が教育も受ける事が出来るし、色んな職の自由も有る。

要は、己が思う方向に行けると言う自由が保障されている。

簡単に書けば、独裁者に成る事も自由だし・・・社長に成ろうと思う事も自由だし、挑戦も出来る・・・後は、己の問題と言う事に成る。

勝手に思っている事だが、私の伯父も先の大戦で、ニューギニアで戦っていた。

一番の悔いは、学びたかったことと思う・・・女学校卒の、母・・明治時代に女が学問等々、色々言われた事態に女学校を出ている。時は戦時の為に、進学を断念されている様だが・・・弟の私の父には、勉学をと言う願いの手紙が戦地から来ているのが有る。

私の勝手な思いだが・・伯父も、有色人種の解放、人種差別への悔しい思いが有ったから、戦ったと思っている。

簡単に書けば、有色人種の自由を勝ち取るために戦ったと、信じている。

自由は待って居ても得る事は出来ない・・・命がけの戦いの結果に、得ている部分に自由が有ると私は思っている。

黄色い猿と言われていた、日本軍人・・猿が人間と戦って、人間と認めて貰ったと言う事にも成る。

何故、この様な差別感が出るのか????基本に相手をバカにする心が有ると言う事だと思う。人は違いが有る、その違いに対して、如何、捉えるか?????

仮に、肌の色が違う、此処までは、違いが解ったと言う事に成るが・・・この先に、俺が偉い、相手が劣っていると言う、己優先主義の命が出て来る。

この部分が、差別だと私は考えている・・・・しかし、現代の差別は、違いが差別の様に言われる。金太郎飴状態の人々が平等と言う意識に向かっている。

私は、これこそ、差別の根源だと考えている。

同じ肌だと仲間、違う肌は・・・・敵・劣っている・最終的に無知でバカと成る事が差別だと思っている。

色んな人が居るし、色んな価値観が有る。それが当然だし、普通の事だと私は思うが・・・この違いが差別を生むと言う考えが、私には解らない。

違いが有るから、相互扶助だし、支え合う人だと私は思っている。

優秀なら、劣っている人を、優秀な分、背負えると思うし、それが当然だし、普通と言う考え方に成る。何の為に、優秀と言っているのか????言って、称賛しているにも意味が有ると言う事に成る。

この意味に対して、応えないなら、優秀でないと言う事にも成る。

今まで、自由で有ると言われる、日本国に住んでいて・・・一杯の差別・除外を私は受けた感覚が有る。誰がそれを解消するのか????当然、私自身だと考えち得る。

不自由・差別を仮に感じたら、己でそれを解消するしかないし、その為には、今の日本国、命を取られる事は無いが、それに近い覚悟が必要で有る事には変わりがない。

特に、三流で劣っている私、この私を認めてくれと言う、事にも原因が有ると思うが、この部分は、私の特徴だし・・・個性だと考えている。

要は、自由で有る筈の国でも、受け入れ切れない個性と言う物が有ると言う事・・・その部分に属して居るので、不自由を私は感じていると言う事に成る。

間違っても、周りと同じ、金太郎あめの様な人間には成りたくないと、決めているから、尚更、己の個性を磨く方向に成る。

仕方がない、生まれた時期が悪い・・等々、妥協を続けた結果、長生きが出来たと言う生き方より、己の個性を輝かせる事を目指した方が、短命でも良いと考えている。

異端児として、生きて行ける、日本国に感謝と言う事にも成るが、マダマダ自由の大きさが狭いと私は思っている。

先の大戦の勝者は、日本と私が言うのも、人種の壁、差別等の打破の切っ掛けを創った、偉業は大きいと私は、称賛している。

勿論、多くの命が無くなったと思うし、他の策が無かったのかとも思うが・・・・それは、今だから思える事で、その当時は、その様な余裕が無かったとも想像できる。

何度が書いているが、私自身だけなら、不可能と思い、逃げると思うが・・・背負っているものを守りたい、死守したいと思ったから、不可能が可能になったことが多々ある。

私には天文学的な借金だったが、返す事が出来た。之も、私だけだったら逃げていたと思うし、背負っているものが有ったから出来た事だと思っているし、不可能を可能に出来たその要因は、背負って居た人達と成れば、その人達に感謝と言う事にも成る。

笑われるかもしれないが、私は、死にもの狂いで戦っていたと考えている。何故、戦っていたかは、不可能に対して挑むからに成る。

勿論、優秀な人なら、フ~~で済む程度の事柄だと思うが、負っている私には、超える事が出来ない壁に見えていた。

私は、その時代時代で、不自由に対して、疑問を持ち、戦ってくれた人が居るから、今が有ると思うし、感謝している。

当然、現代もそれを続けて行かなければと思っている。

問題は、社会の下層の濁っている部分に答えが有る。当然、その場に居ると、前後左右も濁っていて見えないし、どの方向に向かっているかも解らないが・・・留まる事が出来ないと、進もうとする思いが、何かを変え続けていると私は信じている。

手に振れたものを全てを理解していく、これが、見ると言う作業だと私は考えている。

勿論、己の分が有る、三流で有る私は、我が家族、親族、広げても近場の地域社会、村と言う単位までに成るが・・・この部分は確りと死守したいと考えている。

勿論、広げる事が可能なのも、家族のお陰だし、親族のお陰・・・感謝に成る。


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