葬儀の中で・・・父と二従弟の繋がりの、人が・・・マイクを取られ・・話し出された。
満州から引き揚げ・・・父の地元の田川に戻り・・検察官として職に復帰・・・その直後、結核を患い・・・直ぐに無くなった事・・・残った母・兄と姉、生まれた私に成ってしまった。
その当時は結核に対する差別が酷く・・・借家を出ろと言う流れに成り・・・私の祖父がリアカー道具を運びに来られ・・・・柳川の地に、母の故郷に戻って来たとの事・・・
母も職は無く、市営住宅に入所が決まったが・・・狭く・・・兄と私は、私の祖父母が引き取ることに成ったとの事・・・その当時の保護政策は私には解らないが、一家4人が生活できるかは定かでない・・・
私が、何時も疑問が有ったのが・・・何故、終戦後、祖母の里に身を寄せていた、祖父母が熊本の蘆北から・・・柳川に地に戻ったのか????・・・・
先祖の田畑が有り、不在者地主で無くなる・・・しかし、芦北や出水等にも広大な田畑と持っていたのに・・・・損得勘定では動く様な祖父で無いと思っていた。
又、父は私に、芦北に居たら、許嫁が居た、親族が決めた、将来の嫁が居たと言っていた・・・
芦北の小学校から、柳川の小学校に転入・・・その時に、話してくれた兄も一緒頃に、転入しておられる。
祖父と祖母は従妹同士・・・親族結婚に成る・・・しかし、嫁里の人間と言うより、柳川に居る、他の親族等を、考えられた結果、戻られた様な気がする。
今に成ると、遠い親戚だが・・・祖父、善幸さんと言われていた様だが・・・店の番・・色んなお手伝いをされていた様だし・・・その様な祖父の振舞いが、結果的に、父が何故か上座とトップに座られる立場に成っている。
この様な親族なので・・・父の名前にチャンを付けられる、人が昔は多かった。
私は、叔父等から、呼び捨て、略で名を言われる。
この違いが、その親の力加減と私は考えている。
マイクが震え、涙を流しながら、感謝していますと言う、叫びに私は頭が下がった。
誰も見向きもしない、立場に成り・・・手を差し伸べたのが、母の従弟・・・・之に感謝しておられた様だ・・・・
今は、国の保護下に入った方が楽で、良い生活が出来たりする時代に成っている。
その為に、親族間の繋がりが薄く成って行くと私は考えている。
若し、この保護政策が無いと成れば・・・当然、口も出すことに成る。何故か、誰も好き好んで背負おうとは思わないからに成る。
しかし、背負う必要が無ければ、耳障りの良い、嫌われない言葉しか吐かなくなる。
都合が良い人だが、当然、己の都合に成るので、他人の問題等、背負おうとは全く思っていないことに成る。
今の日本国は、体力が有るから、保護政策も出来ている。
若し、国自体の体力が落ちれば・・・最終的には、親族・血族と言う流れに成る可能性が有る。
ある人が言っていたが、成功した社会主義が日本だと言われる。
資本主義の先頭を走っている、アメリカも、ファミリーと言う単位、親族と言う単位を大事にしているし、当然、頼っていると言う事にも成る。何故なのか・・・国の保護政策が日本より劣っているからに成る。
以前、健康保険制度も、一旦、本人が全額負担と成れり・・・医療報酬も自由に決められると成れば、己の症状で、病院を選ぶ方に成ると思う。
己で、安い治療でも良い等々を決める事が出来る。
要は、誰を頼っているか???、国と言う事、考え様では国の奴隷と言う事にも成る。
今は、寄生虫と言う立場で、一番大きな宿主に寄生しているが・・・宿主も馬鹿でない、利用を考えている。
父の件で、祖父の事が解り出す。
父が、地域に強く出る理由も分かる気がする。祖父が亡くなり、遺品を整理していたら、大量の借用書が出来たとの事・・・戦後すぐの年代、数百円等々の、借用書が多々出て来たと、時代の流れで、お金の価値も変わっている。私の小遣いが1日5円か10円の時に、それが出て来ても、意味が無いと、父は捨てたと言っていたが・・・この思いが有るから、上から目線で、地域を見ていると私は考えている。
しかし、当然、人は、父の思う通りに成らない・・・結果、キレルと言う衝動が出ることに成る。
少しは恩を感じているならと思いが、父に有った様だが、世間はそんなに甘くはない・・
父の精神疾患も、この様な理由が有る可能性が有る。
世間を恨んでいた、理由が少しは解った気がする。・
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