数日前から、テレビを付けると、大国の選挙の話題で・・・盛り上がっている。
民主主義の基本と言われる、選挙・・・・しかし、共産国・社会主義国でも選挙は行われている。
民主主義国家から、この様な国の選挙をどう見ているか???・・・出来レース・個性の多様化から選ぶでなく、同じ個性から選ぶ・・・又は、後ろに居る支援者・組織の力加減等々言われるが・・・・民衆国家も同じだと私は考えている。
勿論、差が有るが・・・この差の度合いで、違うと言っているようである。
大国で、一人を選ぶ選挙・・・・大変なお金・・公的資金も投入されるし、一番は、候補者自身が私には想像も出来ない、お金が必要だと言う事・・・・
候補者の自己資金で出るのか???・・・・殆どが、寄付等々の外部から集めたお金に成る。
お金を寄付する人は、何故、するのか???
勿論、寄付、ご自由にお使いくださいが基本だが・・・若し寄付者の思いを叶えてもらう為のお金なら・・・・候補者はそれに答える事が求められるし、之がしなければ、寄付が集まらないと成る。
私は、何度も書いているが・・・資本主義の価値観が有る、国家内での選挙は、お金が無ければ、候補者として立候補できないシステムが有るし、最終的にお金を持っている人が勝つと言う、流れが、資本主義には有る。
何度も資本主義も崩壊に向っていると書いてきたが・・・今回の大国の選挙を外から見ていると、その方向に進んでいると再確認している。
要は、文化・価値観さえ・・・お金が有れば、変える事が出来る・・・・例とすれば、有る地域、文化・価値観が、青系だとする・・・この色を長年続けて来た・・・お金さえ有れば、赤系に変える事は簡単に成る。
先ずは、人を送り込む・・・当然、赤系の人と成る・・勿論、統率されている人達を送り続ける・・・・民主主義国家なら、当然、選挙でリーダーが選ばれる・・・・赤系の人が立候補する事に成るし、当然、その資金力は、天文学的お金に成る為に、リーダーとして選出される。
資本主義・民主主義・個人主義・・・之が何を意味しているのか・・・要は、弱くしていく事を意味している。最終的に、力に対して、奴隷と成る価値観だと私は考えている。
之も以前書いていたが・・・一家と言う、小さな全体主義・・これが我家に有ったなら・・・無借金で、上の二人の息子の家も建てる事が出来た。
理由は、一家で、各自の収入を管理し・・・節約して貯蓄を続けて居たら、簡単に買う事が出来たと考えている。
しかし、一家と言う単位も、個人主義の台頭で、崩壊している。結果、息子達は金融機関からの融資で、家を建てた・・・・金融機関には頭が上がらない方向に成ったと言う事に成る。私も昔は、大手の銀行さえ、所詮、金貸し業と罵っていた。しかし、今は崇める立場に向かっている。
平等であるはずだし、自由で有る筈だが・・・・何故か上下感が厳然と出て来る現実を創り出している事に成る。
自由なら、数ヶ月分のお金を持って、恩人に恩を返す事も出来る。しかし、毎月の支払いが有る。当然、それを支払わなければ、家族に迷惑を掛ける、己自身の思いを通す事が出来ない、自由で無いと言う事に成る。
要は、自由で有る筈だが、己で足枷等を創ってしまい、自由を感じなくなると言う事・・・
若し、リーダーが、この様な環境・立場で、出て来たら・・・・金融機関の奴隷だし・大企業の奴隷だし・若し、別の国からの資金なら、その国の奴隷と言う事に成る。
之も、何度が書いているが、田舎の社会・・・地域の高齢者等と話すと、本当に政治家・リーダーに成って貰いたい人は、立候補しないし、出来ない。理由は、後ろ盾が無いからとよく言われる。
人の為の労を惜しまない人は、己の戦いを嫌う性質が有る。人・他人の為には戦えるが・・・己の勝利の為には戦えないと言う事に成る。
その為に、後ろ盾が必要に成るが・・・この様なタイプには後ろ盾が出て来ない、理由は、後ろ盾に成る、理由が無いからに成る。
しかし、本来は、後ろ盾は、名無き、力無き、人々が大勢と言う形が有るが・・・数が揃わない、理由は、人の為には戦える人は、大勢に知られていない、極一部、小さな単位で見える部分に成るので、多くの人間を後ろ盾に出来ないと成る。
私は、個人主義も崩壊に向っていると考えている。
理由は、昔ながらの全体主義に対して、弱いからに成る。この部分は、現代の日本国でも一個人が、会社に対して事を起こす・・・戦う事が出来るか????直ぐに負けると思っているので、戦う事さえ考えない。
この部分は、一家と言う、小さな全体主義を、先に書いたが・・・個の自由の欲を叶えるために生きていると言う、価値観が・・・結果的に、己を奴隷化に向けていると言う事に成る。
要は、全体主義の価値観の奴隷と成るのが、個人主義の価値観と言う事にも成る。
個人主義は、後ろ盾が居ない事を意味するが・・・現実に己の思う通り、己の欲を叶えたいと思えば、後ろ盾、又は、掲げる看板を欲しがる。
当然、力がる事が理想に成る・・・力とは、お金・人数・等々に成る・・・
しかし、この様な部分は、一時の事・・・永遠性は無い・・・後ろ盾・看板が無くなれば、タダの人と成る。
最終的に残るのは、一家や・一族と言う部分に成るが、この部分が崩壊しているから、肩書・看板を無くすと、廃人と成る人も増えて行く事に成る。
集団で生きる、生物は多い・・・虫の、蟻を観察すると、機械の様に整備されていると私は思う。己の分を遂行しているし、使命と思っているのか、それに邁進している。
当然、分の違い等々で、立場も変わる・・私はそれを悪いとは思わない・・・・だから私は差別主義者なのかもしれない。
分が無い部分は、出来ない・これが普通と私は考えている。逆に分が有れば、それを遂行する事が、大事だと考えている。
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