2020年10月29日木曜日

下働き・後始末・尻拭き・・・バカ

日本国は、古来から、下働き・後始末・尻拭きを出来る人を尊敬していたし、その延長線上に、宿主としての器が有る等々を、想像できた。

一国一城の主に成れる、最低限の器と言う事に成る。

しかし、現代、一国一城の主を目指す人は少ない・・・身分制が確り有った時代の方が、この様に高い志を持った人が多く・・・何故、自由な時代と言われる現代には少ないのか???

又、この様な人を、現代はバカの一言で済ます、時代とも成ってきた。

若し、この様な人を馬鹿だと固唾ける世界であるなら、利口者や優秀な人とはどんな人なのかと成る。

当然、バカを目指す人は減るし、利口者や優秀な人を目指す人は増えだす。


又、この様な仕事・・・下働き等々を、喜んで出来る人は居なくなり・・・仕方が無い・立場が無いからとうとう、己を卑下して行う方向に向かう。

堂々とした、部分が無くなる事に成る。

祖父は、人が羨む立場に上り詰めた・・・・しかし、終戦後・・・残された子供、一人・・・当然、駄々っ子に育っているが・・・・郷里に戻り、子育てを行おうとした。その際、選んだ仕事が、下働きに成る。

対価を求める訳でなく・・・現実を子供に見せる為の行いだったと私は考えているが、子の父は、オヤジの才覚の無さを嘆く・卑下する人間として育った。

人様が困っていると、肥え汲み等々も、喜んでしていたし・・・その技術の難しさを、幼い私にも教えてくれていた。肥を溢さない、手首の返し等々を、自慢げに話していた事を思い出す。

勿論、父も可哀そうである。戦中・戦後期間、モーターボートを浮かべて遊べる立場・・・農地解放が有るという事で、郷里に帰る事に成る、親に伴い帰って来ると、雲泥の差の生活に成る。

しかし、父親も、弱い人、困っている人を、見棄てる事の出来ないという、我一族の血は引いていると思うが・・・・要は、己が高い立場を維持しての感覚・・・・

この部分が、私は、納得できないで、長年、模索していた。

祖父が言っていたが、最小限の家財道具で十分、生活は最低限が基本と、私に何時も言っていたが・・・歳を重ねて、得た、知恵だと私は考えている。

生きる為に、必要な部分だけで生活できる事が理想と言う事・・・それ以上を求めて、得たらそれを維持・管理する能力も必要に成る。

その他い部分が、現代で言う、下働きに成る。

下働きの能力が無いのに、物だけ、形だけを求めれば・・・当然、維持管理する人が必要に成る。当然、その部分に価値を見出す事が出来ないので、その対価は0に近い感覚に成る。

対価0に近い状態で、出来る立場とは?????・・・・奴隷と言う事に成る。

私は、何度も書く、現代の価値観は、独裁者を求める方向が、良いという価値観なり、己に利を産まない人は、要らない・抹殺する方向に成る。

当然、要る人にも対価は出来るだけ、安くと思うのは必然と成る。

この価値観で、必要な人で、下働きの人は、当然、対価は0に近付く事に成り、結果的に奴隷を創り出す事に成る。

その為に、下働き等々を、バカと言う人が増えている事を、私は危惧している。

若し、親がその様に子供に見せているなら、当然、子供もその様に思う事に成る。刷り込みと言う怖い部分に成る。


結果、人から見えない、努力も馬鹿と成るし・・・・私が行う、地域への貢献も、見えない・・・誰も知る人が居ない・・・知っている人は、役員や責任者に成るし、若し、その様な人も、対価を求めない、利用価値が高い、バカが居ると思っているなら、誰も、私の行為を貢献だと評価しない事に成る。

勿論、人目を気にするなら、私も行わない・・・しかし、己自身が貢献しているという部分さえ有れば、良いと思っているから出来る事に成る。

他人の評価以上に、己自身の思いを大事にしている。

悪く書けば、冷静で、冷たい人と成る。

私は、家族から、この様に思われている・・・嫁は息子の為と成ると、何でも出来る・・・警察が乱入した時は、警察と喧嘩していた。

裁判所等の書類が有るから、来ている警察・・・出向妨害等々も恐れず、喧嘩を挑む・・・

私は、冷たいから、解りましたと、直ぐに息子を差し出す・・・この違いが有以上の違いと家族では成っている。

警察が動くという事は、多々の迷惑を他人様に与えた、この部分を先ずは、注視する事に私は成るし、それを如何、親と言う立場で、解消できるかを模索する。

その行為が結果的に、罪の軽減にも成るし・・・別に真犯人が居たという、実証を使う事にも繋がる。

嫁から、何故、息子と信じないと言われる事が多々ある。私は、息子でも一人の人間として、信じている。何を、間違いも失敗も起こす、之が人間と言う、基本は確り有る。

当然、息子も、人間、間違いや失敗を起こす、之も含みで信頼している。

深く言えば、負の部分も含みで信頼しているので、信用しているとも言えると思う。

嫁が言う、信用とは???・・・負の部分が無い事を前提にした信用に成るし、子供を信用しているという事は、負の行為をしていないという前提に成る。

家族とは、信頼関係に成る・・・信頼とは信用できるかとも言われるが、家族一人一人が神的存在か???私の周りには、人しか居ない・・人は当然、失敗も間違いも起こす・・

若し、神的存在と思っているなら、神は、己お思い通りに振舞うか????

要は、家族と言う集団も、思い通りに成らない・・当然、社会なら尚更、思い通りに成らない、之が普通と言う事に成る。

若し、生き残る事が、善と知るなら・・・・・・力量が一人分で、3日しかない状態の難破船に乗っている。生存者が10人居る状態で・・・己だけは生き残りたいという思いが強く、又、力も有れば、食料を独り占めできる。

この立場が、偉い、賢いと思えるか????

状況下が色々ある。環境も色々・・・生き残る事が幸せとは限らない。

高齢者の、願いは、ピンピンコロリ・・・死期が近い事を自覚されている立場の願いに成る。

延命処置を望まない人も増えている。

死を感じて生きる人の、考え、価値観に成る。

死を感じなく、死から逃げようという、年代・考えも当然ある。

しかし、100%確実な事は、生有るものには死は必然と言う事・・・

人間は、この部分を頭で、解る立場・・・・どうすれば、後世が良くなるか???と考えられる立場が人間と成る。

今より未来に、展望を広げられる、頭が有るという事に成る。

この部分を、鍛える為に、生きていると私は考えている。

何度も書くが、後世に何を残せるか???負か、得かという次元で無く・・・別次元を見いだせる様に、生きていると私は考えている。

要は、優秀な人や一流の人が、独裁者的価値観の人では困るという事・・・

歴史が証明しているが、それを何故、懲りないで求め続けるのか????

人の我欲の恐ろしさと、業の深さを考えさせられる。

要は捉え方に成る・・・業も歴史も全て捉え方に成る。この部分が価値観とも言える。



 

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