2020年10月16日金曜日

五男に・・・・

 五男を駅に迎えに・・・・帰りの車の中で・・・スクーターの現状を話して、最低でも交換する、部品を説明・・・

勿論、バラして最終的に解る部分だが・・・・経験と勘で・・・選んだ部品に成る。

当然、現代子・・・フ~~~ンで真剣に聞いていない。

ただ、申し訳ないと言う言葉は口から出るが・・・・理由を理解していないし、それを知らない・・・教えてくれと言う部分も無い・・・

問題を指摘され、御免なさいとは言えても・・・再度、同じ事をすると言う事に成る。

当然、御免なさいも言わない方が良いと思っている。

壊したのは俺で無い・・・何故、俺が的、感覚が強い・・・・

昔の言葉で言えば、バレた・運が悪かった程度の認識と言う事・・・・

本来、問題を指摘される事は、恵まれている・・・学ぶ機会を得たと言う事・・・このチャンスを何故、運が悪いと捉えるのか????

之を、五男五わかりやすいように説明したが・・・・解ったかは私には解らない。

人は、完璧で無い・・間違いも起こすし、失敗も起こす・・・だから、多々の指摘を受け、学ぶしか解決方法は無い・・・

しかし、単純に逃げると言う事で、解消できる場合が多々ある。なぜ逃げるか????指摘等を損と捉える価値観が有ると言う事に成る。

態々、嫌われると思う事を、何故、言うのか????

その理由を考える事も出来る様に成るし、指摘の意味も色々あるが、その違いを学ぶ為にも、多くの指摘を受けた方が、私は良いと考えている。

しかし、最終的には指摘される側の、捉え方に成る。

仮に、指摘する側は、己の感情のままに、又、相手の事を考えず、潰しても良いと思っての指摘もある・・・しかし、それをどう捉えて、どう己の糧に出来るかは、指摘された側の考え方、価値観に成る。

ブログに、今のスクーターの変化も書いてきた。

バラバラの状態で、次男の嫁の里に放置されていた・・・それを次男は、通勤に使おうと我家に持って来たが・・・・修復できず・・・放置状態・・・

私は、勿体無い精神が強いのか???・・・修復を考えたし、それが、若嫁の里に対しての責任とも考えていた。

修復する都度・・・今度は、四男が荒使いをして壊す・・・駄目だと言っていた二人乗り等々、当然する。

当然、壊れる方向に成る。

四男の感覚には、どうせ壊れていたバイク・・・之が底辺に有り、その為に、壊し、捨てても惜しくないと言う思いが有ると思う。

しかし、私は、修復の都度に、汗を流し、当然、お金も使っている。バイクに対しての思いが、子供達と違うと言う事に成る。

今、次男の子、私の孫を、乗せて、あぜ道を散歩する事が出来る。孫達は楽しみにしている。

バイクが生きている証拠でもある。

生きているなら、当然、大事に使いたい・・・

しかし、物だからかもしれないが・・・・壊れたら捨てれば良いし、又、買えば・・・この様な感覚が、息子達には有る。

当然、買う時は己の好みで・・・しかし、飽きる・壊れる・・・放置・廃棄・・・この流れで、又、必要と思えば、買えばよい・・・・物に対してこの様な、考え方、価値観なら、当然、人にもこの考えを用いる事に成る。

私は、長年、修理人として生きて来た。その為に、物に対しての考え方が人で色々有る事を知った。

当然、私も信頼できる人を選ぶ・・・その基準が、物に対しての捉え方に成る。

己の好みでは無い、しかし、一旦縁したら、それを如何するか、どう付き合い続ける事が出来るかを、模索できるのが人間だと考えている。

当然、相手は人間である。不完全で・間違いも失敗も起こす、人間である。

何度も書くが、思う様にならないから面白い、楽しいと捉える、価値観も有っても良いと私は考えている。

今回、指摘、叱咤される事は、解らないかもしれないが・・・感謝に思える様になれと言って、終わった。

又、申し訳ないが・・・親として、三流だし、経済力も無い・・・苦労を与えていると思うし、当然、高等教育を受けさせる余裕も無いが・・・私が、教えられる部分は、出し惜しみしないと言ったが・・・当然、聴く耳は持っていない。


今後、五男も社会人に成る。

大人として、どう社会に貢献できるか???・・・又、それも育て方に成る。

その為に、今、叱られる意味を、確り学ぶ事に成る。




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