2020年7月9日木曜日

己の普通・・・

私は、育った環境・・等々で、己だけの普通が有ると考えている。
その為に、多々の普通が有り・・・多々の一般的と言うものも存在すると考えている。

分相応ともよく書くが・・・己の分と言うのは、この様な価値観・文化も含みで己の分と考えている。

その為・・・人により分も多々存在する。

この様な違いが、無い世界が平等と言う、価値観が最近蔓延している。

極端に書けば、命は全て同じと言えば聞こえは良いが・・・・今は、コロナと言うウイルスを敵と考え、撲滅・抹殺が当然のように言われているが・・・・ウイルスも生き残る為に、必死に頑張っていると思うし・・・その為に、被害に合う人間も必死に防御を考えていると思う。

要は、人間側に都合が良い・・普通が有ると言う事・・・

私は、己を差別主義者と自称している・・・・私は命の重さも差が有るし、順序が有ると考えている。

この様に思わなければ、現代、生きて行けない。

食べ物は殆どが生を奪った、命を奪った事で、得ている・・・その為に、感謝の思いを「頂きます」と言う言葉で、感謝の思いを言葉にしている。

同じ県内でも、藩制度の名残が、文化や習慣として有る。
その地位では、当然だし普通だが、地域外は違うと成る。四男の若嫁は、藩が違う地域から嫁いで来た・・・結果、17歳と言う、若さだが、習慣文化が違って当然と私は考えている。

違いが厳然と有る・・・この様に言う私は、差別主義者と家族から言われるが・・・
家族は、己の普通が、一般的と思っているし、当然と思ってる状態で、違う習慣文化の人に接すれば、当然、問題が発生する。

私が、思う普通は、己限定の普通であると思う。
しかし、自称、差別はダメと、善人面をしている人に多いのが、普通や一般的等を言葉に多用する人・・・・
己の普通が、一般的で、当然と思っている事に成るし、これが私は差別だと考えている。

この様な論法で組み立てられた発言が、結果的に全否定されたら????・・・知らない振り・その場に居なかった振りをする等々、姑息なと言うより、非を認めない人が何故か多い事にも驚く・・・之が意味する事は、己以外は全て虫けらと考える、人と私は考えているし、この部分で使った、虫けらも、差別主義者の私だから使える単語と思う。
虫の命も己の命と同程度に感じる人が、善人と言う雰囲気に成っているからに成る。

私は差別主義者だから、当然、社会からの疎外感を何時も感じている。
溶け込め無いと言う感覚に成る。
しかし、私の価値観を、隠してまで・・溶け込もうとは思わない。

己自身・己の命さえも、軽く考えると感じるからに成る。

何度も書くが、先輩から、二十代の頃・・・己の周りには、必要な人と不必要な人と、残りのどうでもよい人と、三種類の人間に分類できると言われた。
考えると、その通りである。

しかし、若いから、人間社会だけでも平等で有るべきと思っていた私は、己の本性に厳然と、区別感が有るし、優先順位が有るし、差別感が有る事に気付いた。

この部分は、人間だから当然と思う様になった。

この部分は、各自でも違うと言う事・・・・親が大事・子供が大事・己が大事・・・当然、各自で優先順位も有るし、時や場所でも変わると、私は考えている。

人とは優柔不断と言う事・・・・

その時々の都合で、発言等々、簡単に変えるのが人であると、考えている。

又、その優劣を何故か、競い合う・・・不思議と思うし、それが真の真実・正義の為と思っている人も多い・・・

要は、将棋と碁の名人が、優劣を競っていると私には見える。

それ位、人・・・己が思っている普通には他の人と違いが有ると言う事・・・

人間観察が出来る・・・当然、生きていると言う前提が有ってと成る。
この観察が、私は面白いと思うし、勉強にも成る。


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