2020年6月14日日曜日

指導・・

指導・・・人を育てる為には必要な部分に成る。

しかし、責任問題等で、当事者同士だと・・・どうしても感情的に成り、指導が然ると成る。

指導が、叱る・怒る・以下る方向で進めば・・・当然、指導を受けた側は、感情的に、怒りが大きく成り・・・・指導の意味が無い、逆方向に成る事も有る。

私は、諭す方向が、指導だと考えている。
しかし、責任等々で当事者と言う立場に成れば、諭す事を忘れて、感情の怒りを、叱ると言う形に、相手に押し付ける方向に成る。

之も、三流だから成る部分だと思っている。

力が有り、余裕が有るなら、当然、責任等々も重荷は感じない、冷静に相手の個性を見抜いて、諭す事が出来ると思うが・・・・

私は、三流の為に、之が出来ない為に・・・・この諭すと言う、部分を何時も忘れない様に心がけている。

之を忘れると、ついつい叱り飛ばす様な言動を行ってしまう。
この様な、振舞い行動しか出来ない事は、先に書いている様に三流と言う事を己で自称している事に成る。
指導される立場から見れば、笑われるレベルと言う事だし、意識レベルが逆転している状態と成る。

若し、指導される側が、その剣幕に怒りで返すと言う事は、同類と言う事だし、お互いが三流と言う事に成るし、鏡に映っている己に吠えている事に成るので・・・三流以下と言った方がよいと私は考えている。

優秀で、力が有り・・・リーダーに抜擢されているなら・・・当然、人々を前に進める為に、指導する立場と成る。

どの様な指導を行っているか????・・・・指導の捉え方が大事に成る。

私は、この様な部分は、長けている人に任せたいと考えている。

私は、ホロー程度で良いと考えている・・・・しかし、ホローが一番難しいし大事な部分と私は考えている。

この部分に役立つのが、経験や人間勉強と考えている。

貧乏で三流の私が、缶ジュースを一本、渡して、一言、何かを言う・・・・相手の捉え方に成る。

裕福で一流の人が、同じ事をしても、捉え方が変わる。

要は、相手も、人で対応を変えるし、捉え方も変えると言う事・・・・

何度が、書いているが・・・息子二人に、ジュースを渡す・・・どの様な捉え方をするか????・・・こんなもの好きでない・・・兄の方が良い・・・等々・・・渡した親に感謝の念・・等々は、無い・・・・

同じ、事を、赤の他人の子供にする・・・捉え方が変わるし・・・感謝の念も当然、息子達より高い・・・・

現代は、平等とよく言われるが・・・同じ事をする事で、同じ様に捉えて頂く世界でない・・・・振舞い方の平等が言われるが・・・捉え方の平等は、何故か話題に成らない。

逆に、同じ振舞いで、捉える側が、殆どが何も考えなかったが、ある人が、負を感じたら、被害者と成り、差別を受けたと言えるのが現代に成っている。

この様な方向性は、人から言葉を出させない方向に向かうし、会話も出来ない時代へと無合う事に成る。

よくよく、何が問題か???主旨か????と考えないと、勝手に勘違いをして、振舞ってしまうし、それが正しいと思い込んでしまう。

結果、正しい事が否定されたと、敵対心を出す方向に成るし、最終的には戦争と言う、悲惨な状態に成る。


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