近所の高齢者が・・・事務所前の角を曲がれず・・・全身バックを繰り返している。
約3m程の、道の先に、家がある為に・・・日課に成っている。
足も悪く・・・動く、移動する為には、車が必要に成る・・・・勿論、行政の方から、無料バス等々の、配慮が有るが・・・そのバス停までの移動も、大変と言うのが、現実・・・
健康を優位され・・・散歩等々も、行われていたし・・・前の区長・・・頭も悪い方でないと思うが・・・・直ぐに、曲がれない状態が、老いるという事に成る。
車のバンパー等にも、傷が目立ちだしているので・・・私も色々考えている。
我親も・・・車の免許の変更に対して・・・数年、説得を続けたが・・・自由を侵害する事に成るので・・・中々、難しい・・・血と親が折れる、方向の為に・・・この折れる事を負けと捉えるし、又、戦後の教育でそれが普通・当たり前と思い込んでいる。
何度も書いているが・・・人は一人で生きていない・・・結局は、縛りが有る中の自由だと私は考えているし、戦前は、家や一族と言う、縛りの中の自由が普通だったが・・・
この部分が無くないr、個としての自由が自由だと思い込んでいるし・・・当然、自分の思う通り成る、これを求めているし、それが出来る事が力だと思っている。
力には年齢も含まれるために・・・老いると自分の思う通りに、周りが対応すると思い込んでいる。
勿論、実社会では無理だと気付いているので・・・自分の独裁的、帝国・・・・我家でその様に振舞う方向に成る。
この独裁者を説得する・・・この困難さは・・・同じような価値観で育った親を思っている人は、解ると思う。
何度が書くが、人は、特性上、独裁者に成りたいと言う部分が有る。その範囲が、家か・・地域が・・・社会か・・・会社か・・等々の、範囲が有るという事・・・
之が、自由と言う、言葉の捉え方の違いで変わる・・・・家を守る為の・・・一族を守る為の・・・地域を守る為の・・・会社を守る為の・・等々、守ると言う・基本部分が有っての振舞いが・・・過去の人に成るが・・・・現代は、直ぐに、己を守る為に成る。
順位が、己が最初に成っている。
この部分が、無いから、己の自由を重視する・・・・又、問題が起きたらと言っても、己が被るというが・・・現実には無理・・・この部分は四男の言っている事と同じ・・・
周りに迷惑を掛ける・・・この部分が、意識に無い・・・当然、己からの出発の為に、仕方が無い事に成る。
迷惑を被るであろうという立場は・・・勿論、最近は己を守る方向に注視する。
結果、高齢者の家から、後継者が去って行く・・・・
法律的な部分を重視すれば、同居している、子供・後継者にも責任が問われる・・・之を避ける・・・親が問題を起こした場合、親の範囲内で処理すれば良いし・・・それでも財産が残れば、法定そ族人として、名乗れば良い事・・・
この流れが、有るので・・・夫婦間でも、この様な方向に進んでいる。
完全な、損得勘定で、物事を組み立てる。唯物的価値観の、台頭が現実化しているし、それが問題とは気付いているが・・・表面化しないし、見える、誰が保護者か・・この部分の追究に向かっているし・・無ければ、社会的問題と、行政等々への責任転嫁に向かう。
何度も、書いているが、人は背負うものが多くなるほど・・・人間に近づく・・・
この部分を、否定して、大人の振舞いをする人が、大勢・・・それが良いという風潮ま有る。
要は、己より、大事なものが有るという事・・・徹して守らなければ成らないものが有るし、それが増える事が、生きる意味だと言う事に、気付くのが大人と言う事・・・
荒れている、若人・・・四男の様な子に、色々、この様な事を言っても・・理解できない・・・・し・・・糠に釘・・・之が高齢の大人に見える人にも有るという事・・・
上の三人の息子は、少しは解って来ていると思う・・・・自分の妻からの仕打ちも解っているから・・・耐えきれている・・・・勿論、耐えきれず、母を頼り、セビリに来るが・・・
余裕で、守れる人も居る。逆に、ギリギリでも守りきれない人も居る。守れない己を見つめるか???相手を責めるかが・・・この守るという事に徹しているか、いないかの違いに成る。
人は、何の為に生き・・・何を目指しているのか????
之が、私の永遠の課題である。
己の為・・・この為は???・・・現代の当然、利を得る事・・・負を避ける事に成る。
この己・・・・長くても100年で無くなる存在・・人間としての歴史から考えれば、一瞬に成る・・・一瞬の己だけに、投資を続ける・・・凄い事だと思うし、凄い勇気が有ると思う。
何故なら・・・使い捨てのペットボトルを飾り、磨く努力をしている人を見て、真似をする、人が居るか????・・・・又、ボトル内に詰める、物が大事だと、ダイヤを詰めても、内容物には興味をソソルが、ボトル自体には????
内容物が有れば、当然、ボトルを壊しても、取るという人まで出て来る。
要は、ボトルで有る、人の尊厳に成るが・・・現実は、違うという事・・・・
人間とは・・・この様に、何かを守る為の、存在・・・・・徹して守り続けられるものがある人が、幸せだと私は考えている。
後は、何を守るのか????・・・私は、当然、人だと思う。
高齢者の説得にも、基本の部分、己から出発している人か????・・・家から出発しているのか???・・・・家族から出発しているのか等々の、違いで、難しさ度合いも大きく、変わる。
中々、出来難いが、自己犠牲の精神も必要に成る。
集団と言う、社会の中で、生きている限り・・・この部分が最後は必要に成る。
勿論、三流の私には、雲の上の価値観として、感じている。
この雲泥の差を、感じるから・・・三流と言う事に成る。
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