現代の、日本国民は、何故、不幸に向かう、無限地獄の価値観を選ぶのか???
信用と信頼と言う、二つの言葉・単語を使って説明しても、解ると私は考えている。
信用は、カタログスペック・・・当然、今の環境で良い方向を目指す。
之が意味する事は、悪い部分は載せない・・・良い部分は拡大して載せる。
之が意味する事は、粉飾した、スペックと成る。
このスペックで、信用してもらう・・・之が意味する事は、信用な価するスペックに対しての対価を相手は求めている。
粉飾したスペックで対価はそれ以上・・・・当然、不可能に近い方向に向かう・・・
之が意味する事は、何度が書いているが、信用したのに裏切られた・騙された、この様な方向性に成り易いと言う事に成る。
10円の能力しかないのに、粉飾して、100円の能力が有る様なスペック・・・・負の部分は載せないので、借金返しが、10円有る部分は、スペックから消す。
現代は個人情報法の絡みで、個人で相手の信用調査は出来ない。
結果、見える部分のスペックで・・・・最低でも100円の能力が有ると、期待し、色々与える。
しかし、現実には、借金も有るので、0円の人・・・・当然、100円の期待が全て裏切られる。
せめて、50円・せめて、10円と思うが、負の部分は見えない。
結果、裏切られた騙されたと成る。
金融機関は、個人情報法の壁を超える事が出来るし、その承認を本人に取る、結果として負の部分も確り知っている・・・・この状態で騙されるなら、之は、金融機関が無能だったと成る。
貸付側に落ち度が大きいと私は考えている。勿論、色んな保障・担保を握っているので、損するような事が無いのが、金融機関に成る。
一般の人は、情報にも限界がある・・・・この状態で信用等出来ると言う事は、一般以上の立場・力が有ると言う事を意味している。
以前、銀行に私は、信用して金を貸せと言った事が有るが、裏付けが要ると言われた。結局、信用して貸していると言う事で無いらしい・・・銀行も商売・・・・
この損得勘定が何故か、信用と勝手に一般人は思って居る様だ・・・
之が常態化し、普通と成ると、信用と言っても、対価を正確に頂く、之が求められる、勿論、信用していると言う人に対して・・・・
之を私は感じるので、人様から信用されたいとは考えていない・・・他人様が求める対価を与える事は出来ないと、解っているから・・・・・
信用されるから、多大な要求をされる、之を断れば、騙されたと成る。
現代は、信用される人に成りたいと考え、正直なスペック、負も含めて表面化して居る人が多いとは言えない。
之が、意味する事は、最終的に恨む人達を増やす方向に成る。
仮に、私が何時も書くように、一流で優秀な、プロみたいな人が多い世界、之を其のまま信用すれば、当然、容貌や期待・対価も高く成る・・・・答える事が出来れば、良い社会だが、若し、粉飾して、この立場と、自称しているなら・・・当然、対価は少なく、この差が、不満や恨みに繋がって行く。
私が、色んな世界で異端児と成るのもこの部分を強く意識しているから・・・・三流で異端児の変わり者、信用して近づく人は居ない・・・・
しかし、信用される様なスペックでないが・・・何故か人が集まって来る。
之も信頼だと考えている。この信頼に答えたいと成るのは当然・・・・
こんな私にと感謝の念が出るし、感謝の思いが有れば、お返しをしたいと当然思う・・・
しかし、カタログスペックを粉飾する、命の人なら、騙してやった・・・俺の力等々、思うのも当然だと私は考えている。
この基本部分に成る、価値観を、本来、日本人と違う、西欧・大陸的・価値観へ誘導し、無限地獄観が、社会の当然の姿と価値観に刷り込んでいる。
結果、人より勝てば全て良し、当然、之が幸福感と成って行く。
命の次元で言えば、低いので、之より上の次元の人なら、直ぐに見えるし解ると思うが、若しかすると人の命が、この次元まで下がってしまったなら・・・怖いと私は考えている。
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