昨夕・・・地域の人が、地域事の依頼で、来訪されたが・・・私の仕事が有り、申し訳ないが、夜か明日にとお願いした。
昨日、心配してた高校の学友の件もあるが・・・・
私は、人を信用しないと言うより・・・・信用とは????と考えている。
何度が書くが、信用とは、之までの過去の評価・・・・当然評価する人は私なら信用と言う言葉を使えるが・・・殆どは第三者・特に社会の底辺の人達の評価と言うより・・・立場の高い人の評価に成る。
結果、全ての面を通しての、評価でないが・・・何故かそれを信用と成っている。
之がカタログスペックとして・・・信用と成っている・・・・しかし、逆の側面も有ると言う事・・・
地域事も、私は出来るだけ協力したいと考えている。地域を信用しているか???又、その担当者等を信用しているか????・・・・私は信頼しているので、行っている。
私自身が、勝手に行っている事に成るし・・・・それで問題が発生すれば、当然、私の責任に成る。
しかし、私の周りに、耳に入る話等を、考えると・・・・全ての行動に対して、対価を求める・・・対価が後払いの場合、何故か信用したので、行ったが・・・・その対価を得る事が出来ず・・裏切られた等々の話が耳に入る。
結局は、カタログスペックを信じたと言う事、それも一面だけのスペックを信じる・・・此処まで人とは単純なのか???と私は驚いている。
私の、知り合い・友には、代議士も居るし、医者も居る・・・・この目立つ肩書有っても、私はその人自身をある程度知っているので、この私が知っている部分で、物事を考えている。
あの肩書が有るのに????と・・・言う人が多いが・・・・彼がその様な事をするのは昔から、彼の個性だし、特徴・・・・それを後に成って、問題と言い出す。
結局は、その人を知らない、之が問題に成る。
人を知らないで、何故、信用してしまうのか????私は解らない。
又、カタログスペック・・・機械なら少しは私も解るが・・・人は、変化する・・・良い方向か悪い方向に・・・・
この部分を加味して信用しているか????私は疑問が有る。
何度も、人は人と私は書き続けている。
しかし、現代は、普遍的に変化しないものとして、信用しているという言葉を使っている。
変化しない人など居ない・・・之が私の価値観に成る。
以前書いているが、私の尊敬する先輩が、私を信用しないで下さい・・・信頼までに止めてくださいと私が二十歳の時に言われた、勿論、その意味・理由も教わった・・・先輩は今、国の代議士として頑張っておられる。
その時、教わったのが、上に書いた、誰が作ったか解らない、カタログスペックを信じないで、自分自身の心のノートに、刻み続ける事だと・・・・永遠と言う事に成る・・・人は寿命が有るので、現世では、命尽きるまで、人の評価等出来ないと言う事に成る。
しかし、信頼は、自分が勝手に信頼し、期待する。その期待に応じた行動を、勝手にしている事に成る。
この行動を、相手はどう取るか???当然、鬱陶しいと言う人も居るし、恩を感じる人も居る。
お節介の、捉え方に成る。
勿論、相手でも代わるし、立場でも代わる部分に成る。
之も書いているが・・・・ジュースをおごる・・・この行為で、赤の他人は、感謝の念を言葉にされる。
実子にすると、好き嫌い等々、自分の慾を一気に表面化する。
どっちの行動も堅実に成る・・・しかし、感謝を対価として求めるなら・・・・当然、他人にした方が良いと成る。
之も、行動に対しての対価の関係性に成る。
信用は、狭い範囲で終結する。
信頼は、大きく広がる、方向性が有る。
信頼に、応える、之は、この様な価値観振舞い方が出来る。事が大事だし、若し之をしながら余力が有れば、恩を受けた人に返すと成る。
恩と広げて行く事に成る。
之が有る社会は、心地よい環境だと私は考えている。
私は色んな人から恩を頂いている、それを社会に広げて行く事しか出来ない、未だに余力が無いので、恩を頂いた人に返す事が出来ないでいるが・・・
之も、私の力等々の無さを知って、受けた恩と考えれば、先ずは・・・・何に・・・・之を考えている。
私の子供の数と同じ・・・・一受けた恩は、社会に二倍にして返す・・・・余力が有れば、恩を頂いた人に返す事も出来るが・・・・未だに社会に二倍の恩を、返していない。
信用と言う価値観で事を考えれば、イーブンの方向に向かう・・・プラマイ0・・・が規準と成る・・・発展性が無いと私は考えている。
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