先のブログの続きに成るが・・・
最近、信用と言う単語がよく耳に入る。
逆に信頼と言う言葉が耳に入らなくなった。
昔は、信頼関係・・・之が当たり前だった。
私が幼いころは、地域社会は信頼関係で繋がっていた。
当然、人の集団・・・好き嫌いも有るし、個性も色々・・・しかし、信頼・・・之が有った。
塩が無い、隣に借りに行く・・・・何グラム等々、小さな事は無いし、返すと言うより、お互いさまと言う考えが強かった。
電話を借りる、取り次ぎをする・・・之もお互い様だが、相手に電話が無いので、無償の奉仕に成る。
全体で考えていたと言う事・・・・・・・振舞い方も含めて、返して頂くと言う、発想が有ったし、信頼だから、損得勘定等が入って無かったし、逆に損したと言う思いが出てくれば、この信頼関係も成り立たなくなって行く・・・・
仮に、塩を借りる・・・同然、グラム数・・塩のレベル・返済期限等々を、確り決めて、貸借をする世界が現代に成る。
以前、子育てで、高齢のオバさん達が、子供について悔やんで有ったのが・・・この部分が基本に有る。
子供に投資したと考えて居られる・・・それを親の愛情等々で、若い時は飾った表現をして居れば、子供もその様に感じている。
本来、投資と考えれば、小さな数字等々も、残して行く・・書面として之ほど投資したと言う証拠が必要に成る。
之も、無いのに、自分が投資した対価を子供に求めている。
この様な場合も、よく子供を信用していたのにと成る・・・・自分の子供を信用出来るか???私は出来ない・・・・信頼は出来るが、信用は出来ない・・・
孫が今月一人増えたが・・・信用出来るか????・・・信頼は出来るし、将来を託す事が出来る人が出来たと成る。
何を託すか????この部分が各自で違う・・・・東大に入れたいと思う・・・思うだけで、入れる子供も居る・・・・多大に投資しなければ無理な子供も居る。
同じ結果だが、それまでの手段や策が違うし、周りの取り巻きの思い、投資も違って来る。
子供も人格が有るし、夢も有る・・・周りの慾と・本人の慾との差も当然出て来る。
現代は、結果として、生き難い方向性へ誘導しているし、洗脳させている。
赤子・子供にも、受領書・確認書への氏名・捺印をさせる方向に向かっている。当然、不可能であるが、之を求める世界に成って行っている。
先のブログにも書いているが、生まれた子供に、信用して今後の投資を考えているか???
信用出来る、カタログスペックが有るか???
このスペックを求めれば、先ずは、親のDNA等々の部分まで必要に成って行く・・・
身長が高い・IQが高い・身体的欠点が無い・容貌が綺麗・勿論言葉も成るので、綺麗な標準語を使っている父母・・・・等々・・・・子供を儲ける前からのカタログスペックに成れば、当然、結婚する人も居なくなるし、簡単に書けば、家畜に準じる人間と言う事に成る。
しかし、競馬の世界の馬でも、父母が優秀な遺伝子を持っていても、勝てる馬が出来ない場合もある。
この部分も博打に近いし、確率が高いか・低いかの問題に成る。
若し、駄馬なら、殺処分も出来るが、人間なら・・・・・若しかすると今後はこの方向に向かうかもしれない。
希少なカップルの、スペックが優れている、二人が結婚した・・・子供の期待が大きく成る。
親のカタログスペックを信用したが、結果として騙された、裏切られた・・・
子供さえ、この様な価値観で捉える・・・之が良い価値観だから広がっていると思う・・・
之が他人の夫婦なら・・・お互いが信用したのに、各々が裏切られた・騙されたと・・・恨み続ける。
本当に、この様な価値観で良いのかと私は考えている。
自分の勝手な慾が、叶えられない・・・之を騙された裏切られたと言える世界。
又、この様な言動をしても、恥ずかしいと思わない価値観・・・怖いと私は考えている。
私は、言動振舞い、見える風貌を総合すると、現代の評価なら信用できないカタログスペックに成る。だから、信用をされる等々、思っても居ない・・・・しかし、信頼はして頂きたいと、地域事、等々のお手伝いをしている事に成る。
同じ事で、嫁に対しても子供達に対しても、信用等々して貰う事はないと考えている。しかし、信頼程度を期待している。
私の場合、成長に伴い、経験も付き、考え方が変わって来ている。
若い頃は、カタログスペックが大事だと考えていたしそれが信用に繋がり、この部分が人としての規準・基本と思っていた。。しかし、結婚、親に成ると、之が無い子供が出て来る。何を信用して育てるか???良く考えると、私も嫁もカタログスペックは悪い・・・・その遺伝子を受け継ぐ子供は、当然、スペックが低いので、信用調査で、NG・・・私は知らないと言えるか???
言えない・・・又、見殺しにも出来ない・・・それなら、信用で無く、信頼して育てるしかないと私は考えが変わった。
当然、子供、成長・発展が期待される。
しかし、今度は、両親の老いと、介護に成る・・・・将来に向かい、退化と衰えに対して、期待できるか????・・・・無い・・・・
しかし、親も、私を育てる為に、私が感じた、信頼を私に多々与えてくれた・・・・この信頼を返す時だと考えれば、将来に対しての行動も出来る方向に成った。
しかし、私の場合、結婚以降・・・父の商売の倒産が有ったので、父母を食わせる、この責任が背中に乗った。
有る時、母に、10年以上、生活を看て来た・・・・そろそろ私の自由にさせてくれと言った。二人で計算上、私を二十歳まで食わせてくれた親に対して、損得は終わったと考えていたが・・・
お前は、機械か・・・計算機で、銀行と同じか・・・私は、人間を育てて来たつもりで有ると言われた。
機械なら、性能が無い、お前を、昔に廃棄処分したと言われた。
言い返す、言葉が無かった。
何を育て、何が生きているか????私は機械で無い人間だと考えている、この人間が構成しているのが、社会だと信じている。
先に書いた、知らず・知らずに、洗脳させられている。
結局人の評価は????信用・・・信用は、カタログスペック・・・之が高いか・低いか、当然、その人を見る側の価値観で成る。
見る側で決まると言う事、この見る側は、最終的に、カタログスペックの規準を創っている、権力者に成る。
信頼とは、カタログスペック等で決まる部分で無い・・・各自で変わるし、色んな振舞い方が有る筈。
他人は評価しないが、私は評価できると言う部分も有る筈・・・全てマイナスの評価だが、周りを見れば、誰も居ない、居ないなら、私が・・・この様な考え、価値観も有ってよいと私は、考えている。
その為に、正しいと言う部分は人の数、有ると私は考えているが、この部分が一極化に向かう・・・之が怖いし、之が、人の争いに対して正当性を与えて行く・・・
一神教社会に多い価値観に成る。
この価値観に、多神教の日本国民が向かっている、之を私は危惧している。
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