2018年11月29日木曜日

根拠も無いのに自信・・・

私は、三流で馬鹿だと、自己評価をしている・・・

理由は・・・・・何の根拠も無いのに、変な自信が有る部分に成る。

其れも、十代の比の、自信と殆んど変化がしていない・・之が私と思うし、結果、子供だと言う事に成る。

悪い方向には、自分は、成らないと思っているし、変な自信まで有るので、この部分は考えていない・・・良い方向は、当然、三流なので実力では無理、努力が必要だと思っているし、当然求めているので、この方向性の情報には無意識に耳が傾く・・・

この様な、事が本当に現実に有るなら・・・全ての人は努力すれば、誰しも良い方向に成ると言う事に成る。

又、悪い方向も、誰しも成らないし、成る訳が無い・・・この自信が有り、裏付けが有るなら、誰も悪い方向に成らない筈に成る。

しかし、現実は、努力しても人に二倍稼いでも、良く成らない事が有るし、現実に私がこの状態・・・

又、私だけは成らないと自信が有った方向に、何故か向かっている。

勿論、自信が有ったので、この部分を学んでいないので、右往左往する方向に成る。

「生老病死」の部分さえ・・・私は病気をしない・・・最終的に死なないと言う思い、価値観で物事を組み立てる方向性の人間と言う事に成る。

この非現実を望んでいるし、之を基本に物事を組みる、価値観に成っていると言う事に成る。

何度も書いているが、必ず、人は死ぬ・・・この当然と言う部分も意識に無い・・・
又、意識しても、可能性が低い、ピンピンコロリを望んでいる。

根拠が無いか、低い、この部分に何故か自分の事に成ると自信が有ると言う事に成る。
之を世間では馬鹿と言う・・・・根拠無い大きな事を当然の様に言っている人をこの様に表現する。

近所の老婆を看て来たが・・・お金本位主義で、お金を貯め続けられたが、結果、親族が死ぬ前に奪い取り、一文も無しに成られて、逝かれた。

結局、親族は葬儀に参列されず・・・・之も現実である。

老婆の一生を、簡単に言えば、お金に振り回された人生と言う事に成る。
親族より、お金が大事と言う価値観・・・しかし、葬儀を行われただけでも幸せだし、人を創られた証拠に成る。

尤物的部分にお金も有る・・・お金も普遍的でない・・・又、お金教・お金本位主義の人も増えているので、お金が有れば、蟻子が集まる様に、直ぐに人は集まる。
之が意味する事は、お金を与えに集まって来ているのか、又逆に、お金を奪いに集まって来ているかの、どちらかで有る。

勿論、現代の一般的価値観なら、二極の内、どの方向化が予想できる・・・本来、この部分を抜きにしてが大事だが・・・・現実は、お金が無くなれば、潮が引く様に人々は去って行く・・・・

昔は、縁を大事と教えていた・・・・今は、縁を結ぶにも目的が有ると言う事・・・この目的が無くなれば、縁も無くなる・・・・縁と言う単語、表記も要らない世界に成る。
利用されるからの付き合いという事に成る。

若し、利用されない立場に成る、若しでない誰しも歳を取るし、機能不全に成って行く・・・この利用でき難い人に、誰が集まるのか???・・・・

勿論、それでも利用できると思う人が、詐欺みたいな事を行う為に、集まっている、之が現代に成る。

私の年齢に成ると、後継者の大事さが身に染み出す。勿論、力が有り、経済力も有るなら、まだまだ現役を続けると、強がっている人も居るが・・・現実にはこの様な人は隠居と言う立場が本来、一番幸せ友うが、現役を望むのも、要は後継者が居ない、之が本当の意味だと私は、考えている。

老兵は去るだけ・・・この生き方が出来るのも、確りした後継者が居るからに成る。

私の場合、この確りした後継者を創っていない・・・之が問題に成る。

社会に対しての後継者は与えた・・・残っているのは、私、我が家の後継者と言う部分に成る。

社会の第一線で、戦う之も後継者に成る・・・しかし、この部分だけでは、駄目・・・私にも要ると言う事に成る。

逝った母が言っていたが、社会に貢献できる、後継者は、社会にくれてやる・・・しかし、我家の後継者も必要に成る、その為に、多くの子供を産み育てることと、言っていた。

結局は、我が子も、色々な方向性が有るし、其れが必要と言う事・・・必要部分が多く有るまら、当然、一人の子供では無理に成る。

之を、子供の自由を奪う、差別等々言う人も居る。

子供の自由を与える為にも多くの子供が必要と言う事・・・・

仮に、一人の子供に多くの大人が、各々の思いで期待している。この期待の数に答える、子供も大変だと思う・・・・

結局、多くの大人が、期待を裏切られた感じる事に繋がる。






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