私は、人を信用しない、信頼までの留める、之を、心に何時の効き聞かせている。
何故か、信用とは????之も各自で違うと思うが・・・・信用する之を一般的には相手が良い人だからだと考える方向性が有る。
何を見て、良い人と判断しているか????・・・・当然、その人の普段の振る舞い方が大事に成るが・・・
現代、普段の振る舞いを見れるか????之も、不安が有る。
又、現代人、対外的に良く見せようと言う、方向性が有る。その為に、人に見せている時は普段で無い、気を使った振る舞いをしている可能性も有る。
結果、肩書きや、人の評価を重んじる方向性に成る。
要は、自分以外の人の評価を信用すると言う事に成る。
勿論、良いと思い込むことにもつながる・・・・・私は、自分で感じる之を大事にしている。人の評価と自分の評価は違う、之が普通だし、当たり前と考えているが、
現代では、人の評価と自分の評価が違う、この部分を、何故か恥や、有り得ないと感じる人が居る。
之が現代の人間不信、又は裏切られた、騙されたと言う、方向性を作る事に成る。
私は人を信用するタイプだから、この部分を何時も言い聞かせている。
誰しも悪気が有って、見栄を張っている訳でもない・・・社会通念で当り前の行動をしようと、努力しているだけに成るが、この部分が、本心で無く、自分の個性を出していない事に成る。
私自身、三流・・・当然、妻も、子供も三流だと考えている。
何を信用するか、必ず失敗をする人達だと思って、居るし、その部分を信用と私は考えている。
しかし、最近の風潮では、信用とは、良い部分を多々積み重ねる、之を信用を積むと言っている。
勿論誰に対してか????当然、信用してもらう人の為に、成ると言う事は、その人の望む特性の人だと、思わせている事に成る。
例としては、恋愛と同じである。相手に気に入られる為の振る舞いを一所懸命に考える。この行動は、その人の普段の振る舞いで無い場合が多い事は誰しも解るはず。
之を信じたという話はよくある。結婚して結果は、恋愛時代と、大きく振る舞いが変わった、裏切られた騙されたと、喪失感を得たりする事に成る。
私が行っている信用と言うものは、信用したら最後まで、縁を続ける。付き合っていくという意味だと考えている。
しかし、簡単に信用と言う単語を使う人が多いし、信頼を得たい為に信用される振る舞いと言うなら解るが、その振る舞いを見て、信用した、受け身側が発する言葉では無いと私は考えている。
何故なら、一時の振る舞いを信用した、と成れば、その振る舞いを続ける義務が出て来るからに成る。出来なければ、裏切れたと相手は受け取る。
この部分が、不思議、勝手に信用していて、之を裏切れば、相手の責任・・・
この部分も解らない・・・・
其れなら、私の仲間にはよく話すが、優秀に見える。一流に見える、肩書きも有る。若し、今回の様な災害が、大きく、被害を出した場合・・・どの様な人が手を貸してくれる???
この様な話をすると、一番最初に安全な部分に逃げて、他に目を向けない人が、その様な人と言われるが・・・・解っていて、その人達を、仰いで担いでいる、現実を考えようとしない。
この様な人が又、肩書きを求め、同じようなリーダーに成って行く・・・・
見せる、この考えが色々有る。自分のありのままを見せる・・・之も有るし、見栄を張る格好を付けるこの部分を見せると言う場合も有る。
自分の人生、自分が納得できる生き方をしたいと私は考えている。
その振る舞いが、結果として、他人様に嫌われようとも、気にしない方向性を模索している。
当然、自分本位という事で無い、利己中というわけでもない・・・縁した人の為に少しでも成りたいと思いで、振る舞った結果の評価が悪いでも仕方が無いと考えている。
勿論、現代、、、、有る程度の常識的振る舞いが有るので、難しい部分に成るが。
少なくとも、家族や親族間では、この振る舞い方を大事にしている。
之も、若い時に、極潰しと親族から言われていた時代も有るので・・・・人間で無い振る舞いと言われる事も、余り気にしていない。
人とは、何故、自分の思う様に成る人を、他人に求めるのか???、又その様な振る舞いをして、気に入られようとするのか????
之は、詐欺と変わらない行動と言う事にも成る。
詐欺師が行っているが、騙される方も悪い、又は求めているから其れに即した振る舞いをしただけなのに、詐欺師と言われる。
日本国は、法的に被害者という立場、之が余りにも強過ぎる・・・・之を利用すれば、被害者を装って、加害者側を、落とし入れる事も可能に成る。
被害者も加害者も同じ立場、見方を変えれば、逆に見える場合も有る。
しかし、最近は、一つの価値観に固定化されつつある。
歩行者が事故に巻き込まれる、交通事故・・・・当然、方向者が被害者に成るが、この事故を引き起こした張本人は歩行者、保険金を狙って板と成れば、話が変わり出す。
要は、誰が得するか???之が単に表れて捜査するのが、自殺等々の生命保険の詐欺・・・
心の部分に成る。
立証が難しい部分に成る。
結局は、人の心まで、同じ、皆一緒という発想が間違いに成るが・・・この部分まで、同じという前提で、物事が進んでいる事に成る。
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