2018年2月25日日曜日

お見舞い・・・・・

今日は、叔父が入院しているので・・・お見舞い・・・

嫁の里の父も入院中だし・・・・・・・・・

人の営みには、色々な事が起きる。

その為にも、親族や家族の必要性が大に成って行く・・・・

私の場合、母が逝き・・・父は施設・・・・お子親が受けた恩や義理に答える、この責務も有る・・・・

この責務を果たす、之が、子供の意味だと私は考えている。

この部分を、果たせるから、自分の事が出来る・・・この順序で、物事を組立てている。

何の為の、子供か?????之を考えれば、当然この部分が有るから、子育てを一所懸命に親は行なっている。

私も同じで、世間様に、恩や義理を感じているし・・・その思いに答える、責務が有る・・・・しかし、寿命は無常である・・・・責務を果たせず、尽きる時が有る・・・その引継ぎは当然、子供がする。

この様な考えだから・・・・私一人では、恩や義理に答えきれないから、人数で対処・・・・五人の子供も儲けたが・・・・子供達にその思いが伝わっているかは解らない。

親二人が受けた恩や・義理・・・当然、祖父母が受けた、恩や義理も、含みで・・・・返す、責務が背中に乗る・・・・・之が、私の場合、独りだから、大変な事も多々有ると感じるから、子供を沢山儲けた・・・・

嫁も、勿論、嫁の実母のその部分を、嫁た立場で、返そうと努力はしている。


簡単に書けば、感謝の表現と成る・・・・・其れを代が変っても、する、之が必要だと思うし、之が人の心の繋がりだと、私は考えている。

感謝の連鎖が起これば、之ほど住む易い世界はないと私は考えている。

仮に、一所懸命に恩をかけ、義理を与えた、人に子供が居ない・・・・その人は、生きている間に返す、事が必要に成るし、本当に返せるかの根拠も無い・・・

その為に、昔は、子供が居ない、之だけで、信用を無くす時代も有った。

人の本質は、奇麗事では済まない・・・・全てに損得が有るし、貸し借りの問題も有る。

言葉に出さないだけで・・・心に残り続ける、之が人で有るので、何時かは恩に対してのお返しをしたい、之を適える為には、当然、努力が必要に成る・・・・その一つが子供を儲けるに成る。

しかし、人の心から、恩も感じない、義理も感じない・・・この様な人間が増えれば、人とは言えない、鬼畜に近い状態と言う事になる。

教育も何を育てるかで、変る・・・・人を育てる教育なら、人を本質を知る事が大事に成る。

受けた恩に対しては、倍返し・・・・この様な教育も大事に成る。

しかし、今は、逆に、負の部分に、対して、倍返し、この教育をしているように見える。


価値観が、基本、勝ち組、勝者側の価値観が、普通に成る・・・・一部の限られた人の価値観を、一般庶民までが、成ってしまえば、大変な時代に成る。

弱い立場は、弱い立場の価値観が有る、其れも、全体が未来に向って、良くなる方法・・・・この模索も必要だと私は考えている。

母が言っていた事だが「義理に対しては、お金を借ってきてでもする・・・・之が人だし、最後に自分を守る財産に成る」と・・・・・

しかし、最近は、恩や義理を感じない人も増えている・・・この環境で、この行為が正しいかは解らない・・・


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