21世紀は、心の時代と言われた人がいる・・・・
物質的・・・充実感を求めた20世紀から・・・・心の世紀に生まれ変わる・・・・
この生みの苦しみを、現在はしている様だ・・・・
誰しも・・・・物質的、充実感で自己保身に邁進しても・・・良い方向には向かっていないと思うが・・・現実を生きる為に、先ずは自分を守る自己保身方向に向かざるおえない・・・之が本音だと思う・・・
逆に、人の為や、地域の為・・・等々の部分は、余裕が有るから、出来るという考えも出て来ている・・・
余裕が無いから、自己保身・・・この理屈がまかり通っている・・・・
しかし、この余裕・・・何か基準が有るのか????・・・・ある基準が有り、その基準以上の余力が有ることが余裕と成る?????
西欧の人達は、この余裕を求め、余裕が出来たら、人類に貢献できる、之をステータスと考える価値観が有る・・・・
キリスト教的考えが基本に有る・・・・
しかし、この考えも、余裕と言う基準を何処に定めるかが、千差万別に成る・・・・
結局、余裕も、物質的部分での判断や基準じゃないと言う事・・・・・その人の心の部分に成る・・・
しかし、現在では、物質的・現実的に、恵まれないと、心の余裕が出ないと考える、価値観が蔓延している・・・・・物質的に恵まれる=心の余裕が有る・・・・・この計算式に成っていると勝手に考えている様だ・・・
現実にこの計算式が正しいなら・・・・物質的に裕福な人は、余裕があり、その分・・・社会貢献等に慢心している事になる・・・・
しかし、実際は、逆だったり、違うと思う、振舞いをする人が多い世界になっている・・・
この様な、現実を踏まえ・・・・それなら、誰が、するか・・・・誰も振り向きもしない、立場や環境に対して、改善方向の努力は・・・放置状態が続くし、最後には、行政や国の責任と、押し付ける方向に成る・・・・
しかし、現実に国に余裕が有るかも問題に成る・・・・・この理屈で行けば、国に余裕が無くなれば、その様な、立場や環境を改善する等々、誰もしないと言う流れに成る・・・
又、価値観の中に・・・自分しかない人まで、最近は増え続けている・・・・自分さえ良ければ、楽であれば、それで良い・・・と・・・完結している考えの人も増えている・・・
家畜以下の考えと私は考えている・・・無人島で、お城に住み・高級車に乗り・・・全てが思う通りになる環境、しかし、それ以外の人が居ない世界・・・・悩む事も無いし、回りには褒めるだけの人しか居ない・・・・天国の様な世界だが、私は、家畜以下の生き方と考えている・・・
全てが適うが、その全てが自分の見える範囲しかない・・・・この狭い価値観の空間が、家畜以下だと考えるから・・・
しかし、その様になる事を、本気で願っている人も居るし、目標にしている人も居る・・・・
20世紀の価値観の変革が、21世紀前半の時だと、今の情勢を見ると、思ってしまう・・・・
昔、ブログに、大変な時代が来ると書いているが・・・個人では生きられない時代に向っている気が、ドンドン強くなって来ている・・・・・人が纏まり、集団とした生き方に戻って行くと私は考えている・・・・・・人との繋がりが之からは大事に成りだす・・・・勿論、厳しい時代に成れば、その繋がりの強さが求められる・・・・この部分が家族だし、血縁関係になると私は考えているが・・・・
この部分が、崩壊していく流れが、現代・・・・・今後、波乱万丈の面白い、時代に成るようだ・・・・
危惧している方向へ、何故か進む・・・・結局は、人の心の動きに成る・・・その為には、確りした勉強が必要だし、勉強する為には・・・何故という、疑問が無ければ、進める事も出来ない・・・・
心に余裕が無ければ、之が不幸と私は考えているが・・・・この余裕は物質的部分で獲る事は出来ないと考えている・・・・
人と接し・・・人に何が出来るか、之が余裕だと私は考えている・・・
三流以下の人間でも出来る部分が有る、その持ち場で何をするかになる・・・
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