夜勤の嫁を、10時に迎へに行くことに成っている。
嫁は、優しいし・・人様に対して背一杯の事をして上げたいと言う、お節介な部分も有る。
それは、彼女の個性だし、彼女が勝手な部分と私は考えている。
嫁は、直ぐに己の思いが善意だからと言う、部分で、結果が予想と違うと機嫌が悪くなるし、怒り出す。
善意の思いが有るから、結果は良い筈と言う、理屈に成る。
逆に、悪意の思いが有るから、結果が悪いか???と私は思っている。
嫁から、私を鬼畜や、冷たい人間とよく言われる理由は、先に書いている様に、彼女の足を払う様な言葉を掛けるからに成る。
私は、己がどう思もい、行動するかは・・己の勝手だと考えている。
勝手な振舞をするので、その結果は、自業自得と考えている。
結果が良ければ、嬉しいし、策や方法等々は、他から得た部分なら、他に感謝できる。
結果が悪ければ、当然、策や方法が等々が、悪かったと言う事・・・己の無能・無知さを反省することに成る。
私は、善意とは????・・・その思いを何が有っても振舞い続ける力と勇気だと考えている。一時の可哀そうと言う思いで、振舞ったがその後は・・・・放置、この様な事が多々有ると思う。これを善意の振舞いとは言わないと私は思うし、その場だけの思い、自分勝手な思いと、私は思っている。
簡単に書けば、初心は善意の思いが有ったが~~~と、言い訳に使っている感じが強く私は感じる。
私は、全てが捉え方・・・結果だと考えている。
仮に、他人様のお金を、盗みたいと言う人が、山の洞窟に奥に、盗んだ金を隠し続ける・・・この行為がライフワークに成っている。
しかし、裏山の地域は、貧窮した地域、神頼みと、山の洞窟に神殿を作った。
すると・・・・神殿に、時々、お金が降って来る・・・願いが通じた、神の力だと、感謝し、そのお金で、凌ぐ・・・・
しかし、実際は、泥棒が盗んだ、お金が、裏の洞窟から落ちていたと言う、事実・・・・
私は結果だと思う。それに対して、どう判断するかは、各自の勝手と考えている。
今、オリンピックが行われている・・・一人の勝者が生まれ、数え切れない人が敗者と成っている。
要は、捉え方、敗者が損・苦なのか???勝者が得・楽なのか???・・・
勝と言う部分より、そのスポーツに取り組む、喜びが有るから、続けていると私は考えている。
よく、結果が良ければ、この良いと言う部分も各自の勝手に成る。
良ければ、続けると言うなら、何故、負けても続けるのか???・・・・
キツイ・苦労も当然ある、苦痛も有るが、それを楽しめる、力が有るから、続けられると私は考えている。
結果が全てだが、その結果をどう捉えられるかが、その人の勝手に成るし、力に成る。
嫁は、己の可哀そうと言う、思い・・・むぞかと言う思いで、直ぐに行動に移す・・・
特に我が子にはその傾向が強い・・・・子はどう捉えているか、母の善意の振舞いと捉えているか????・・・勝手な行為だと思っている・・・・
その為に、恩を感じていない・・・・嫁は恩を与えたと思っている。
この差が、嫁の怒りに繋がっている。
嫁の場合、善意の振舞いだから、当然、相手は恩を感じていると思っている。
しかし、現実は、違うと言う事・・・
昔から有る「恩は人の為に成らず」この意味は、恩を与えると言う事は、己の為と言う事・・・恩を与えたなら、相手から何かして貰う等々、思っては駄目だと言う事・・・
若し、この様な価値観なら、恩を与えても、己の思う様に人は振舞ってくれないと言う事に成る。
私は、己の思いに、善や悪等々、考えていない・・・己が勝手に思って、行っている、自分勝手な振舞だと考えている、その結果は????・・・自業自得と言う事に成る。
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