マスコミが言う、格差なき社会・・・
政治家も、よく国から言う、格差なき社会・・・
国民も格差を認めない方向に、扇動している事に成る。
しかし、不思議な現象だが・・・人は何を選ぶのか????・・・・
又、何を持って、幸福感を感じているのか????7
格差なき社会が、幸せ・幸福と成るなら・・・人との差が無い、之で幸福感を感じる必要性が出て来る。
現実に可能なのか????
現代の価値観は、人との差を、感じて、不幸や幸福と感じる、価値観が根に有る。
その為に、その部分を擽る様な、商品しか売れない・・・差が無ければ、当然、価格での勝負に成る・・・勿論、価格差が有る事は、格差を求めている事にも成る。
私が、勝手に思っている事が、この部分、口では奇麗ごとを並べるが・・・現実はこの格差で、幸福・不幸を感じている事に成るし・・・之が本質なので、格差を無意識に求めている事に成る。
テレビからは・・・裕福そうに見える優秀な人が奇麗ごとを並べる・・・経済力も有るし、余力も多々ある様に見える、格好をしているし、発言をしている。
それなら、現実に有る、格差を、側に住む部分で気付き、その人に手を差し伸べていると私は思うが、現実は????・・・解らない・・・
仮に言うだけで・・・行動はしない・・この様な人を優秀と成れば、三男が、人間関係で、離職した理由も嘘だと成る。
有言実行が出来る、雰囲気を出して、口で言うが、現実は、自己の富しか考えていない。
之を優秀と言うなら、私は劣っているし、三流と成る。
ある先輩から・・・言われたことが有り・・・私はハー・・・とした。若し娘が居て・・・十代の若さで、黒人の彼を連れてきて、日本語も話せない、人と結婚すると言われたらと言う、問いだった・・・
その当時は、私も若く、差別はダメだ、無条件にダメと、無知の為に、思い込んでいた時期に成る。特に人種差別はと言っていた為に・・・問いかけられた事に成る。
逆に、家柄が良く、資産も多々あり、頭が優秀で、不動産等々の賃貸で、数千万の固定された所得が有り・・・仕事は、医者を娘が、結婚したいと連れて来た・・・
私は、当然、答えに差が出る、事に気付いた。
之が、私の、本心、本当の価値観だと考える様になる。
之を切っ掛けに、人は口では出来もしない、夢・理想を言う方向性が有ると解った。
現実は、格差を表し、商品の優位性をアピールする・・之が商売と成る。
この経済活動の中で、生き居る。
小さな格差を判断して、選んでいる事に成るし、何故選んだかは、優位と感じたからに成る。
この様な、経済が有り、その経済界から、お金を頂き、番組を作る、マスコミが、格差はダメだと言っても、口だけに成る感じがする。
マスコミも多々ある、当然、格差で優位性を感じている・・・悪いと判断される場合、番組は打ち切りに成る。
論法としては、教育位は、格差は無くす方向と言うが・・・現実に、学校を選ぶ、理由は、学校間の格差を感じてに成る。
優位と思う、学校を、各自のレベルで択んでいる事に成るし、目的で択んでいる事に成る。
私は、何度も厳然と格差は有る・・・之をどう感じ、考えるかは各自の勝手と思っているが、それを、力が有る側が扇動して、一極に向けるのは、私の好みでない。
各自が考える事である。
その扇動に、耳障りよい平等や格差無き世界等を、使う・・・・之が怖いと思し、扇動と感じる部分に成る。
仮に、本当に格差無き世界に成れば、全ての人が幸せと感じられるか????
現代より、昔の方が格差が大きかったが・・・私は、不幸だとは感じなかった・・・
現状は不幸に他人からは見えても、当事者には当たり前の事だし・・その中で幸福感も得る事が出来ていた。
しかし、善人の振りをした人が囁く・・・・新聞配達した対価は????当然、母が家の糧として使っている・・・矛盾を感じないか????と・・・本来なら汗を流した人に対価を与える事が正しい・・・・勿論、私が頂き、封筒のまま母に渡している・・・それなら、母から感謝の言葉を頂けるか???・・・・当然の事だから無い・・・之は有りえない、貴方は騙されている、その為に不幸だと言う人が、大勢いる。
母の安心する顔が、私には一番の幸せだったことを、忘れさせられる、言葉で私も動揺するし、母に対して怒りさえ感じ出す事に成る。
扇動や誘導の怖さがこの部分に成る・・・・
人は、目的が有って、行動している・・特に口がから出る言葉は、意思疎通と言う部分より・・・自分の目的を叶えたいからの意味合いが強い・・・その為に、個人の目的が、無意識に、言葉として出る。
私は、意思疎通の為に、先ずは、私自身を知って貰いたい又、私の価値観を見てもらってからと言う思いが有る。
出来るだけ、有りのままの姿を表現したいと考えている。
しかし、この部分を隠す姿勢の人は、意思疎通の目的が、私と違うと言う事にも成る。
己を見せない事は、己は、ほっといてくれ・・・しかし、話、当然、相手に何かを求めている事に成る。
意思疎通の本来の意味から、変わって、自分の意思を押し付ける為の、言葉と言う事に成る。
取り方次第では、言葉は強制性が有る暴力ともいえる部分が有る。
この言葉に対しての強い盈虚力、又暴力と言う、部分を理解して、勿論、優秀な人はテレビ等で発言していると思うが・・・・
有る部分では、格差はダメだと言っていて・・・有る部分ではそれを求めている。
私は、全てに格差が有り、どれを選ぶかは各自の勝手だし、各自の多様化した価値観が有れば、よいと考えている。
仮に、インフラが整っている都会が良いと言う人も居て・・・逆に自然が豊富な田舎が良いと言う人が居ても良いと考えている。
何処に住むかも、各自の価値観で決まるし・・・良し・悪しも、変わる部分・・・
厳然と有る事を、容認して、当然、その中で、些細な問題等々も出て来る、それを改善する流れが必要に成る。
仮に、利己主義的方向性の人に、他人に奉仕等々、きつい事だし、難しい事に成る。
その様な人は、無理と言ってもよい・・・だから間違いで無い・・この様な人が居るなら、逆の人が居ても良いと言う価値観に成る。
共に、幸福感を感じるからに成る・・・
サゾが居てマゾが居る・・・お互い幸福感を感じている・・・
究極のサゾが居れば、究極のマゾが居れば、バランスが取れている事に成る。
私は、価値観の多様化を求めている理由がこの部分・・・価値観まで一極化すれば、幸福な人が居れば、逆に不幸な人を創っている事に成る。
一極化の世界が、よいと思う人は、人心を誘導し、自分の奴隷と思っている人に成る。
誰が独裁者に成るかの、攻防を行っている事が、生きる事に成る・・・哀れだと思う事に成る。
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