昔・・・新幹線の駅の誘致を、JC会員で有る、私は頑張っていた時が有る。
地域が、発展する・・・その起爆剤に、新幹線の駅は成ると、信じていたし・・又、夢の様だが、この駅と、佐賀空港を結ぶ、モノレール等々の話も合った。
その活動中・・・ある老人が、駅誘致を拒んだ・・・
よく話を聞くと・・・発展の捉え方の違いに成る 。
特に、移動手段のインフラの場合・・・・例えると、大きな水道管と捉え、各都市や町が、水が入っている、バケツと捉えれば、同じ、高さのバケツなら良いが・・
若し、このバランスが違えば、一気に人の排出に繋がる。
我地の発展で無く・・力のある都市へと、人を流出させる道具に成る危険性を言われていた。
要は、便利が発展に繋がるとは限らないと言う考えに成る。
礼として上げるが・・・タバコを何処で買うか・・・之が税金として何処に入るか???
若し、我が地域の発展と考えれば、我が地域で購入してもらいたい・・・
お金を落とす場所の、流動性が、移動手段等々のインフラの場合・・加速するし増える事に成る。
勿論、人を流入させる魅力的、場所を提供する事が、必要に成る・・・之が、ホークスの二軍誘致に成った。
この魅力が、無ければ、駅は、人の流出手段となる可能性が高い・・・
考えれば、私が若い頃、東京の大学を目指す・・・凄い勇気が必要だったし、覚悟が必要だった。今の私の感覚だと、アメリカの大学に行く、この覚悟に近い・・
昔の福岡市への距離感で、東京を言う感覚に成っている。
今言われている。大学入試に対しての地域格差は、昔に比べ減っていると思う・・・
しかし、之が意味する事は、優秀な若者が、都会へと流出方向に加速している事にも成る。
東京の大学等を目指す・・子供は、昔は、「末は大臣か博士」と言われ、国を背負って頂く、人材として、輩出していた。
国の一部の地域の為にも成ると言う意味も含まれている。
その為に周りの期待を背負い、使命感を持って、大学に挑戦するこの思いも、私の年代でも、少しは残っていた。
現代の大学への行く目的は????
遊びたいたいから・・・実社会で下働きをしたく無いから・・・等々、我欲が最初に目的として出てくる時代に成っていると思う。
大志が無いと成る。
大志が有れば、少々の問題・格差等、意識もしない・・・
私は何度か書いているが・・・格差を感じる事は普通だと思う・・・しかし、感じてもそれが他に責任を転換する方向は違うと思う。
配慮をお願いする位に成る。
しかし、現代では、配慮も、尊宅も、駄目と言う風潮まである。差別に繋がると言う言葉まで出て来る。
基本が、格差が無ければ、この論法も間違いで無い・・・しかし、厳然と格差は有る・・・これを無くす、之が差別なき時代と言う、妄想に捉えられた人が現代は多い・・・
仮に、福岡県は恵まれているからと・・・他県の受験者に何かを行うと成れば、平等なのか???当然、福岡県内でも、福岡市に行く為には、親が運転する車で無ければ無理と言う人も居る。時間的には3時間掛かる、地域も有る。
この様な人にも、教育の平等性を、基本に、策を儲ける方向に成る。
何度も書くが、各々、環境が違う・・之を、平等にする・・不可能に近いし、無間にある環境を一定に出来る、能力が人間に有るとは思えない。
世間は、不思議な方向に誘導され居る・・・・格差をダメと言う、方向から考えれば、格差に繋がる、地域や経済力等々も、認めない、容認できないと成る。
容認できないと成れば、これを無くす方向を目指す事に成る。
先に書いている様に、無限にある部分を、無くす、不可能な事を、優秀なリーダーが口で言う事に成る。
この、大風呂敷を広げる・・・之がリーダーの仕事と成れば、当然、結果は出ないし、リーダーとして失格となる。
若し、先に書いている、大学等々を目指す目的が、国の為、しいては生まれ故郷の為と言う、目的で大志を抱いた社会のリーダーを輩出しているなら、この様な方向に成らない・・・逆に、我欲で、大学、その後も、我欲で職を選び・・我欲の思うままに、生きてきた人たちが、奇麗ごとを並べる事は簡単だが、誰がするか???
この様なタイプは・・唯物的価値観に縛られているし、全てが数値で判断する方向性の人に成る。
格差が、仮に1mから50cmに成っても、成果を認めない、理由は厳然と格差が残っている・・・・
以前から書いているが、デジタル化の価値観に染まっている。100か0か之が答えと言う価値観に成る。
その方向に、マスコミも誘導していると思う。理由は、先に書いた目的感で、その職を選んでいる為に成る。
面白い事に・・大学、多々ある・・・各地に現代は有る・・・格差を反対していて、何故、大学の格差を見て、選んでいるのか????
何故、東大を目指すのか???・・・大学間でも格差が有る証拠に成る。
目指す目的は????・・各自、差が有る筈。
多々の格差が、大学側に有るのに、受験側には格差を否定させる方向を創っている。
私の友達で、超優秀大学に入った、友が居るが・・・家が貧しく・・・学校で配布される教科書しか資料が無い、この状態でも、入学できた。
塾・予備校・参考書等々を頼らずに、入学できている。
その人が優秀だったからと成るが・・・人にも格差が存在している。
現代は、小さな差を、見つけ出し・・・それが有るから不幸等々の論法を使ってる感じがする。この事は、貴方は不幸な環境に生まれ、不幸な社会環境で育ったと、思わせる流れに成る。
実質的に勝ち組の属する人たちが・・・小さな差を、有るから不幸・劣っていると、人々を誘導する流れに成る。
それを、我々が、どうかする為に、頑張っている振りをして居るだけである・・・
簡単に書けば、同情する部分を、あら捜しして、同乗している振りをしているだけである。
昔、ドラマで「同情するなら金をくれ」と有るが・・・行動を見せてくれと言う意味に私は感じていた。
現代の情報は、貴方は恵まれていない、その為に不幸だ・・と・・教えている。
本当に、身に感じる不幸なら・・集団化して暴動・革命運動に繋がる・・・しかし、その方向には成らない。
不幸と、言われていても、本当に不幸とは思っていない事に成る。
些細な格差・不幸迄を大袈裟に・・・言って、煽っている事にも成る。
逆に考えれば、それだけ幸せだと言う事にも成る。
又、大志を抱いて、国や地域を変えたいと言う、部分も感じない程、幸せだから、我欲に走らせると言う事にも成る。
昔は、学生さん・・大学生に成る・・・苦学生が殆どだったのっで、周りの配慮も多々あった。理由は、リーダーとして、社会をよくして頂きたいと言う、期待が有った為に成る。
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