2017年6月2日金曜日

成長への・・・見守り  退化への・・・見守り

我々・・・年代の・・・当然の事に成るが・・・子守・孫守・親守が有る・・・・

私の場合、末子が中二・・・殆ど手は要らないが、見守りは必要だし、勿論、経済的、負担も有る・・・

又、上の子供達の、孫、この面倒を看るこの作業も勿論出て来る・・・

体が小さく、又、成長を夢見て、関わる、子育てや孫守・・・・この部分も大人の手が、一人で足らない事が多々有る為に、祖父母の意味が出て来る・・・・

この発展への・・行動にも、現在、参加できない人も増えているのが現状・・・

又、親守・・・この部分は、自分が居れば、必ず親が居る事に成る・・・・この部分は、退化への見守りに成るし、之が出来るかになる・・・・

誰もが経験する部分に成ると思う・・・・昨晩、義父の病院へ、伺ったが・・・・入院しているという現実を、理解されていない・・・家へ帰りたいという部分で、徘徊をされた様だ・・・・

子供を看る、この部分でも、大人一人では手に負えない部分が多々有るが・・・・高齢者に成ると、大人の手が、子供以上に必要に成るし・・・・その結果が、成長でなく、退化を見守る事に成る・・・・


人とは、よく出来ている・・・・子育てで、色々勉強した事を・・・今度は親守で、役に立たせる・・集大成に成ると考えている・・・・

子供も色んな、事件・事故・・等々起す・・・之を正面から、処理していれば、親守もその延長線上に成る・・・・・・

不思議に思う事が、実の親と違い、義理の親には、冷静に対応が出来ること・・・・壊れて行く、之が認められない為に、強く、接する場合が、実の親の場合、出て来る・・・・

特に長男等々、家長としての、教育を受けていると、この部分が強く働くし、親族等に迷惑を掛ける、之を本能的に避ける、部分が強くなる・・・


近所の老婆を看取ったが・・・他人としての距離感も、見守る事には、良い場合も有る・・・・・

老いる事は、退化を意味している・・・之を当然と受け止める、経験・勉強が必要・・・・

義父に頭を下げ、三女の娘を嫁に頂いた、私の責任、又その恩に答える時期が来たと言う事になる・・・・

特に我が家は、波乱万丈な歴史を刻んでいる・・・義父もその都度、心配されたと思う・・・

倒産・・・やくざ等が押しかける・・・この様な家に、娘を嫁がせている・・・・心配して当然・・・・

又、私の子供達も、義父に可愛がられているし、小さい頃は、何時も、里で面倒を看てもらっている・・・子供達も、その恩を覚えているはず・・・

息子達にも、その恩を返す時と話して、解ってくれている・・・・勿論、現代子、協力できる部分は協力するという返事に成るが・・・・この言葉が出るだけでも、現代なら幸せと思うしかない・・・

徹して、守る・・・この部分に達していないが、仕方が無いと思う・・・

生きる事は、本来、命のやり取りだと私は考えている・・・力が無いで許される世界でない、力が無ければ、命がけで守る、この方向になる・・・

力とは、安全パイの意味合いが多い・・・・力が無ければ、結果は見えている・・・


結局、安全パイを求めて生きる、これも生き方として正しいと思う・・・・

安全パイが無ければ、身を持って、行動することしか、恩に報いる事が出来ない・・・

今日も午後から、義父の病院に、里のお袋と、行く事にしている・・・

義兄も、病を抱えて、治療中・・・動ける、立場が動く、当然の事が出来るか、出来ないかが、幸せの基準と思う・・・・

又、この様な行動が、子供達への教育に繋がる・・・今後を担う、後継の者の教育の責任も我々に有る・・・



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