次男家族が、今朝から母のお墓に行くと、来ている・・・・・
先祖の墓は、地元の納骨堂に有るが・・・・・・母は、別の所で、静かに一人で納まっているし、それを母は求めていた・・・・
次男には、祖母に当たるが・・・・彼たち兄弟を、母の様に、見守ってくれた人だし、子供達が祖母を慕う事は当然・・・・・親の立場の私達夫婦は仕事・仕事・仕事で子供に接する事は少なかった・・・
よく考えれば、私も祖父に可愛がられていたし、祖父と色々、旅行をしていた・・・その為に、恩を感じているし、納骨堂に対しての思いも有る・・・・それ以外の祖先、有った事も無いし、話で聞いているだけで、実感は無い・・・
若し、納骨堂に納まっている人に対しての実感が無ければ、思いも無いし、納骨堂の思いも無くなると思う・・・・
結局は、実感が有るか、無いかに成るし、祖父母の恩を感じているかどうかに成るようだ・・・
しかし、次男家族が・・・子供と共に墓参り・・・・之を見とどけるのも、親としての私の責任になる・・・・
この流れは、後世に繋げる・・・・その責任が私には有る・・・・子供達が知らない、先祖の事を教える事が出来る立場が誰か????・・・・・結局、私しか居ない・・・
今の自分が居る・・・・この事は、先祖が居るからに成るし、生を受けて、色んな人たちと縁して、自分という物を創って行く・・・・その全てに恩を感じきれる人に成って欲しいと私は思っている・・・
勿論、恩に対して、感謝する方向が大事・・・・・之が出来るのも、今の自分が幸せと思えることも大事になる
この生き方を、私は子供達に求めている・・・・・形は如何であれ・・・心が幸せと感じていればそれだけで十分・・・・・
恩に対しての、返し方も色々有る・・・この部分も結局は心に成る・・・次男家族が墓参りが出来る、之が彼達の恩に対する、心からのお礼が、形に成っているだけ・・・・
行く行かないの問題より、心が大事・・・・行ける事は、経済力に成る・・・・
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