今日は今月末の日曜日に開催される、お宮での秋祭りの為の、清掃活動が行われた。
私の今の体・・・迷惑に成ると考え、息子達に依頼していたし、良い返事を貰っていたので・・今朝、電話をするが出てくれない・・・結果、私が行く事にした。この様な体でも受け入れて戴けるか、力仕事は出来ない・・・・腰を下ろし、座る・・・和式トイレの様な座り方が出来ない・・・この状態で何が出来るか????・・・・色々、思案して、コスセットを、腰、胸と二か所に装着して、参加させて頂いた。
受付、喜んで受け入れて戴いた、感謝に成る。こんな私でも、受け入れて戴けるし、有難うと言う労いの言葉も頂ける。分を超えるもてなしに私は感じた。当然、感謝に成る。
私達の受け持ちの、下宮の清掃・・・草等の処理が殆どだが・・・除草剤を散布されていたので、手でむしり取る作業が殆どである。
座れるか????・・・不安も有ったが、今日は座る事が出来た。
昨日まで、スウィシュの整備で、この姿勢が出来なく、地面に尻を付いて座っていたが、尻を持ち上げて座れる。驚くことに、この状態で、動く必要が有るが、それも出来る。当然、感謝と言う事に成る。
己や身内に色々、施しをしても、当然と捉えられるし・・・若し、多くの施しをして、この世を私が去って・・当然、直ぐに忘れ去られると思うし、施しより、苦や損の部分だけ覚えていると思う。
しかし、他人や世間に対しての施しは・・見返りを求めていないので、命がけと言う、大事は出来ないが・・・何故か、死後に、私の追善供養の祈りをしてくれている人が居る場合が有る。
何故、書くか、私は仏前で、この他人様への追善供養を行うからに成る。三流で劣っている鬼畜の命を持っている私でさえ行っている事、優秀で一流で、確り人間レベルにある人なら、当たり前と行っていると思う。
要は、何度も書いているが、ジュースを他人に譲渡する・・・返事は、何時も感謝の「有難う」に成る。しかし、身内・特に我が子に成ると、文句しか言わない、好みで無い・・・他のが良かった・・・当然、「ありがとう」と言う、言葉は発しない。
同じ、行為を、他人と、身内に行い、何故か、その後の対応が違う・・・
勿論、劣っている私の子に成るので、普通の人の子供たちは、確りと感謝と恩を感じていると思うが・・・・
8時から1時間程の奉仕だが・・・出来た事に感謝に成る。
何の為に、生きているのか・・・己の為、身内の為、当然有るので、それを意識しないでも、生物だから、本能的に行ってしまう。
その為に、意識する方向は、己に欠けている部分に成る。
私は鬼畜の命が強い、結果、奉仕等が不得意と言う事に成る。
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