現代は、人が人として生きる事が難しくなっていると言うより、この部分を否定し続けたのが、戦後の日本である。
戦前も民主主義国家であった日本・・・何が大きく変わったか???・・・自由主義の捉え方・考え方が変わったと言っても良いと考えている。
私は、古い人間と言われるし、それを卑下もしていない・・・理由は、歴史・文化を大事だと思っているし、それを、後世に伝える義務が有るし、一旦、我が範疇に入れば、己なりに改善・改革等を、行えると考えている。勿論、大きくは変えない、しかし、些細な変更を続ける、これが歴史の積み重ねだし・・・文化の発展と私は捉える価値観を持っている。
何故、歴史・文化を書くのか????・・・人が人で有ると言う事は、この文化と歴史が大きく関与しているからだと私は考えている。
動物と言われる、犬や猫・・・・歴史を理解できているか????解っているか????・・・当然、文化が有るか????・・・個々に日々を生き抜くこの部分だけで生きているように私には見える。
人が人である、理由に、歴史・文化を持っているか????・・・この部分が問われると思うが・・・近代は、戦後、この部分を崩壊させ続けてきたのが、日本国に成るし、結果、人が動物として生きる、この生き方で何が良いか・悪いかの、価値観に向かてしまった。
良いと言う事は、当然、物質的に欲を満たしていることだけに成る。悪い方は当然、己の欲を満たせないと言う事に成る。
この事は・・動物の犬でも同じだと私は思う。
要は、犬が思う、己が良ければ、これが出来る力が有る方が、優秀・一流と言う、動物的、考えようでは、畜生的、価値観と言う事に成る。
人が畜生に己から成ろうとしている。この様な価値観なら、戦前と言うより、明治・江戸時代は、人々は、不幸だったと捉えてしまう・・・捉えれば、間違いと思う事に成る。
私は、昔、堀の水を飲んだ・・・これを現代なら虐待行為と捉える人も居る。
私は、近所の果実・特に柿を取って食べた・・・現代なら、窃盗と犯罪行為と直ぐに捉え駄目となる。
私の伯父は、戦地で亡くなっている。その当時、脅迫され嫌々で戦地に向かったと思う人も居る。本当にそうなのか???・・・
若しこの要な価値観を持ってしまえば、当然、人様に背を貸す人には成らないと言う事にもなる。
私の伯父は、頭が良かったとの事・・・戦地に向かう時に、幼い私の父に、大学に行かせてやりたかったと言っていたとの事・・・
要は、国力等の力加減も知っていた、伯父が負けると解っていた戦いに向かった。
理由は、己で家族を守る為に、己の分で何が出来るかを考えた結果だと思う。
当然、その時代は、本籍地からの出征に成る・・・・宮崎の力、今私が住む、この地から出征されている。共に行く、戦友とも初めて顔を合わす事に成る。
言葉の、方言も大きく違う、中で、戦地に向かわれた事に成る。
その様な先人が居るので、私は、この時代を預かっていると言う捉え方をしている。
預かった物、バトンだと言う事にもなる。これを、渡す為に生きているし、そのバトンとは歴史・文化に成る。
勿論、家・一族・親族・又は地域・等々の、文化と歴史に成る・・・・
この部分を、無価値にする、教育が、戦後行われ続けた。結果、今日、地域保全のお手伝いに伺ったが・・・・墓守も居ない時代に成ったと、嘆かれる人が多かった。
当然、私の年代が、若者となる・・・私より若い人は、誰も居ないと言うより、興味を持たれないと言う事に成る。要は、歴史・文化の継承等、考えていない、又は意味が無いと捉える教育をされたと言う事に成る。
田舎の為に、この様に嘆かれると言う事は、家としての教育もされていたと思うが・・・それ以上に、影響力が有った教育が有ると言う事に成る。
要は、この方向はキツイ・苦労する・・これを求めろと言う価値観が無くなったと言う事、動物と同じ、虫と同じで、甘い水に向かうと言う事・・・
継承・徹して守ると言う、概念が無くなったと言う事、この時点で、もう人では無いと私は考えている。
勿論、その能力が無ければ、仕方がない、しかし己の、欲・傲慢さが、この方向を否定するなら・・人でないと言う事・・・
人は、この様な、負の部分と思える方向を背負えるから人だと私は考えている。
何故か、今日、御一緒した人たちから、跡取りが居ても、意味がないと言う、言葉が多いから、要は、子を育てても意味が無いと、言われていることに成る。
当然、少子化に向かうのも理解できることに成る。
仮に、私の伯父は無駄死にと言う人も居る・・・しかし、祖父は、一番の親孝行者と言って居られた。理由は、国が、生きていたら当然、出来た、親孝行を代理してくれた、勿論、お金という形で・・・・
今なら・・・親孝行等する子が居ない・・・子が、国を背負い、死んだなら、当然、国もその時だけの保証で終わっても問題ないと言う事にもなる。
私が知っている、家は、戦地で父を亡くし、残った、母と子・祖父母が、国からの手当てで生きられていた家も知っている。
要は、子として親として、死んでも、その義務、稼ぎを家に入れる・・これを行われたと言う事にもなる。
要は、家族の為、家の為に、徹して守った結果が、この形を作ったと私は考えている。
要は、己以外の為に生きた、だから、その報いが有ると言う事・・・・
現代は、報いと言うより、対価しか興味を持たない・・・その為に、今回の地域保全等に、興味を示さないと成る。
私が、危惧している部分が、この様な部分・・・人が動物化すれば、当然、家も無くなる。一族・親族も無くなる・・・最後は、国も無くなる。
亡国の価値観だと危惧している。
今回は、これ迄・・・・人が人として生きる、これを困難にする方向に、社会も向かっているし、それをリードしているのが、PCの世界に成る。
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