オヤジ、長男を出さずに、次男が、四男の対応に、動いている様だ・・・・
昔は親族や、仲人が動いていた・・・しかし、現代は、処理や面倒な事に、首を突っ込まない之が利口な生き方と成っているので・・・誰も、居ない・・・
この様な社会に成るのは、当然、想像していた・・・結果、己に力を付けるか、名代を多く創るかの何方かに成る。
しかし、己に力が付くと言う事は、言葉の重さも増す、当然、一言が大変な事になる事が有る。要は訂正が出来ないと言う事・・・・
その為に、名代と成る立場が必要に成る。それが昔は親族や仲人と言う部分が行っていたが・・・・現代は、無い・・・・
会社に例えると、社長の言葉、訂正は出来ない・・・しかし、課係長の言葉、違いが有る。
要は、家と言う単位でも、長が動けが、大事に向かう可能性が有る。
この様な立場の人を、対外的、部分に出さない、要は結果が決まった時のハンコを押す立場と言う事にも成る。
要は、下働きをするものが必要と言う事、国でも、総理大臣が最後に国を代表してハンコを押す。しかし、そこまで、創り上げたのは当然、下働きが居たと言う事に成る。
会社もそうであるように、家でも同じである。管理側が一人しか居ない、この様な家なら、失言一言で大事に成る。
結果、黙り込むか、負を背負いたく無いと言う、強い思いで、口から吐く事に成り、話が通じない、対話に成らないと言う方向に成る。
妥協点、お互いさまと言う部分を探る為には、腹の探り合いが必要に成るので、当然、下働きが必要と言う事に成る。
集団の中で生きる、人間・・・その為に、集団との協調性を保つ為にも、この部分が、最低でも必頭と言う考えが、有史以来続いた歴史で出来上がったシステムを、戦後の短い期間で、大変化させている事に成る。
本来、人間世界も、弱肉強食と言う、自然の哲理が有る。その為に家を強くする、拡大する之を目的に戦前までは、進めて来た。
今は、この部分が無い事を、被害者と思って、弱いから配慮をして頂いて当然と言う、感覚にさえなっているのが、現代と言える。
要は、被害者・弱い立場と装う事で、利を得れる世界と言う事、昔なら、破綻の、己の命さえ無くなる方向だったが、今は得に成る方向に成っている。
家族と言う集団に属していれば、背負っている人、背負われている人等が、解るはず。当然、背負う立場に成りたいと言うのが、大人に成ると言う事に成る・・・その為に、力を付けてい居た。要は、人様の為に力を欲していたと言う事・・・
その為に、確りした家が一つの、その人の信用にも成っていた。
〇〇一門の、〇〇家、これで人間性等が解るし、信用も含め、価値観も想像できていた。
しかし、この様な事が差別に繋がると言う事で、情報が無い・・・結果、宝くじと同じで、付き合って、縁を深めないと、その人の価値観等々、解らないと言う事に成る、その時は既に時遅しと言う事にも成る。結果、騙された等々と成る。
昔は、〇〇一門の〇〇家と言えば、様相も想像できるし、その人達の価値観も想像できた。
長年、繁栄していたと言う、信用も有るし、底に縁する事は、誉等も有った。
今は、人との関係性は、殆どが運と言う事に成る。
勿論、装わず、地を見せて過ごしているなら良いが、地を隠し、装っているなら、当然、騙されたと成る。
この様な部分は、差別と思うが、血統書の様なものが、人間にも有ったと言う事・・・之を教わる、環境の家も有る。
教わらない家も有るなら、当然、知らないし、現代では有りえないと思うかもしれない。
しかし、人間が愛玩する、ペットの犬猫・・・何を選んでいるか????野良犬か????之が人間の本質である。愛玩の為の動物でも、血統を大事にしている。それなら、人間は????・・・・出来ないと言うのが現代と成っている。
血は怖い、DNAに刷り込まれている、事が、多々ある。
サラブレットの競走馬も、特性、気性も血統で似てしまう。
当然、人間にも言える事に成る。
怖い世の中と言う事、縁する人すべては、装っている・・・本心は????状態、それで付き合いだす・・・・最後は損するか、得するかの二極に成る。
損した方は騙されたと成り、憎む事に成る。
得した方は、忘れている。
この様な環境に成れば、当然、性善説等は通じないと言う事に成る。
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