2019年8月22日木曜日

人は個性である・・・

夕方、父と妹が来訪・・・・

父の変わ様に驚く・・・・この部分は、妹が看る様になって、感じている部分だが・・・
私が思っている父と違う。

妹に、以前の父の主治医が、言われていた、父の個性を大事に治療したい、個性を殺す薬は多々ある。しかし、それを使う事は、個人的見解だが、主治医は使いたくない。
治療方針を決める時に、言われた言葉に成る。
私も、当然、良し・悪しは別で・・・父の個性が有るから、父であると思うので、その方針に賛同していた。

この部分は、妹にも何度も言っていたつもりである。

しかし、妹の話を聞く中で、診てもらっている父の立場、看ていただく施設側の意向に添う父を望んでいる様な感じの話をする。

協調性に劣り、自分勝手な言動をするタイプが父に成る。集団生活が向かないタイプが父の個性に成る。

子の変化を、以前から気付いていたので、会う都度に、この話を妹にはしていた。

今日は、去年、心療内科に入院した際に、強い薬の投与が、この様な状況に成っていると、妹が言いだした。
病院が勝手に、行った事と、言いたい素振りに私には感じる。

この部分は、父の入院見舞いに行った時に、担当、看護師からも聞いている。
しかし、看護師が言う事には・・・治療的内容の引継ぎは有るが、父の個性・習慣等々は、家族からの情報が大事だが、妹はその部分を言っていなかったみたいだし、当然、父の日頃の言動等、一緒に生活をしていないので、解る訳が無いし、当然、私は電話等で妹に言っていたつもりだが。有りえないと、聞き入れていなかったことに成る。

思う様にならなければ、駄々を捏ねる父・・・死んでやる等々、普通の話・・・
この言動をまともに取れば、当然、治療も自殺回避の方向に成る事に成る。

今日は、妹が聴く耳を少しは持っていると思ったので、人は色々、個性も色々、どれが正しい間違いも無い。
しかし、社会は、基準を設けて、それに当ては成らなければ、除外される方向に向かっている。
個性を認めないと言うりょい、個性迄、基準化を目指している。
逆に受け入れ側の個性も、基準を設けて、それに当ては有る方向に向かっている。

之が意味する事は、最終的に、善悪の基準に向かうし、人の差別に向かう。

父の個性も、相手次第では、捉え方も色々ある。それを一つの答えへと向けている事に成る。

人を物と考えるか、生物として考えるかの違い、又は人と考えるかに成る。
遺伝子や個性上では、当然、父は、父に成る。
しかし、私が考える父では、今の父は無いと言う事に成る。

三時間ほど、家族の中に、父を入れ、色んな無駄話をしていたら、次第に、父の本来の目に近付いてきた。

人の名前を言っても、反応を示す方向に成ってきた。

人を、家畜として、扱いやすい、当然、看る側の欲に成る。之に有っている人が人と成るなら、この時点で、人は家畜と一緒という事に成る。

看る側が上で、看られる側が下と言う、価値観からの答えに成る。

何度が書いているが、子守も、親守も・・・当たり前の事、普通の事、この部分で偉いから、優れているからと言う部分を入れるべきでないと私は考えている。

私の様に、劣っていて三流の立場でも、親の面倒を看る、当然だから、しなければと思う。
若し、上の立場でなければ、出来ないと成れば、子供としての意味も無くなるし、逆に、親として、子供を儲ける事も出来ない事に成る。

優秀な親だから、子育てが出来て、当然、老後の世話を子供がしてもらうと成れば、それ以外が住む世界は無くなる。

今、考えたのだが、隔世遺伝と耳にする。私の親、祖父母の遺伝を、私の子供に行くと言う事らしい・・・個性も遺伝と考えれば、子育てで、親の面倒を看る、訓練をしているのかも知れない。

人の人生とは無駄が無いと思う。子育ての経験が、訓練と成り、今度は、親の面倒を看る・・・凄い、システムだと私は考えている。

看る。之も基準化が出来ないと思う。看る側・看られる側の個性の、合う・合わないが厳然と有る筈。
しかし、これを認めない、基準化方向に世間は向かっている感じがする。

どんどん・・・・・人も、家畜化されている事に成る。
誰に、都合が良い事なのか?????・・・私は解らない。



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