何に???・・・・この目的部分の違いで、それから発する、考え方が変わり出す。
当然、己と言う部分が有る・・・己は何か????・・・之を考える時期が、本来、思春期に有る。
この時に、頭が割れそうに考える、事が大事だし、当然その為には、色んな材料が必要に成る
この材料の違いで、出来上がるものも変わって来る。
本来、材料が多々あった方が、多々のものが出来る筈、逆に少ないと、一方向に進むことに成る。
己とは????・・・各自違う事に成る。
私の場合、己の為には、家族・親族・一族・地域社会・等々が必要だと考えている。
子の必要性も、己と同じレベルか・・・それ以上に大事だと思う様にしている。
勿論、己以外は、大事でないという考えも有ると思う。
要は、何の為との問いに・・・己の為と言う答えでも、人で違いが有るという事に成る。
この部分が、究極の己、己だけの方向に走る時代が、弾痕の世代の人達の時代に成る。
個だ全てと言う、価値観に成る・・・それが当然、加速しだす・・・
勿論、個と言う、己は大事だが・・・上に書いている、己の範疇が有る事に成る。
この部分が、広い人が当然、リーダーの素質が有る、他人まで含む人が、リーダーと言える・・・・国家のリーダーなら、当然、凄い、大きさが必要に成ると私は考えている。
若し、己が個なら・・・己以外は信じられない事に成るし、リーダー等々・他人に任せる事が出来ない事に成るし、仮に、民主主義で、同じ価値観の他人んを選ぶと言っても、己以外、認めないという、人に成る・・・その様な人を、同じ価値観の人だからと選ぶことが出来るか????・・・私は、自己保身が有るので、難しいと思う。
先人の考え方、価値観を、冷静に判断できる・・・之が、後世の人間だと私は考えている。考え様では恵まれている事に成る。
私以後の後世に何を残すか????之が問われている。
個が大事だが、これに執着し過ぎると、個以外が育たない・・・・
己の為・・・色々有るという事に成る。
しかし、個の為とは、出来るだけ思いたくないと考えている。
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