2018年11月6日火曜日

差別主義者???・・・家族から差別と・・・・

現代は難しい・・・・与える立場・・・三流の私だが、家族の中では、与える立場で、稼ぐと言う部分を担っている・・・

この稼ぐ事で、お金を嫁が色々と分配していると、私は思っている。

勿論、上手に行っていると信じている・・・・

しかし、受給者側からは、差別等々の合唱が耳に入る・・・

上の兄達の時は良かった等々・・・結果、嫁が責められているし、嫁は当然、私が不甲斐ないと思っている様だ・・・・

本来、平等にしたいと私は考えている・・・・しかし、稼ぐこの部分は変化する、この変化を家族は認めないと言う事に成る・・・

その論法が、差別に繋がる、之を容認している、私は差別主義者と・・・・・

解らない訳では無い・・・上の子供達の頃は、小遣いも天井知らず状態・・・・祖父母が大蔵大臣の為に、孫には甘い・・・・・・

又、その当時は、私の稼ぎも今の四倍以上あった・・・・

子供達からの文句を受けても仕方が無いと考えているが・・・・・

差別心は無いが、現実が・・・之が私に成る・・・・・しかし、受給者だ我が、現実が違うから、差別を感じている。

本来、差別主義者とは?????・・・之を考えると、我家だと受給者側だと、私は感じる。

私は、自分の分の範囲で、生活を考えている・・・・他人様等々と比べてどうこうという価値観で無い・・・・
しかし、自給側の家族は、昔と比べたり、兄弟と比べたり・・・比べて今が損と思うから、差別だと言っている。

比べなく、仮に、家庭の分で生活する・・・之を基本に考えれば、何の問題も無いが・・・今は分が下がったので、生活レベルも下がったと言う、当り前の事に成る。

しかし、それを認めきれない、考えが有る様だ・・・・

マスコミ等々で、言っている差別・・・私の家族の様な事を言っている感じがする。

与える側・・・もう少し、言えば、支える側の感覚で話していない・・・・

仮に、国とすれば、国が衰えれば、当然、国の国民に対すrサービスも衰えだす・・・・之を差別と言うのか?????

何度か書いているが、背負う側を増やすしか無い・・・・・背負われようとする心が、現代の差別心を作りだす。

子供の発言を聞くと、私は怖く成る・・・・正当化する為に、差別等々の単語を出す。又出せる環境に成っている。

私は五人の男の子を、授かったが・・・尤物的に、一円も差も無く、平等に与えたか????、与えていない、バラツキが有る・・・・之を差別と言われるのが現代に成っている。
この金額の大小が又愛情と言われる時代が現代・・・・

子供達に、何処で教わって来ているのか・・・と聞いた事も有るが、世間が教えている様だ・・・・

子供に、多金持ちは愛情が豊かと言う事に成ると・・・子供達の価値観なら成ると・・・私の様な貧乏人は愛情も無いと言う事に成る。

大変な時代に成って来ている、その様な子供達が、社会人に成れば、些細な違いを差別と言いだす、又感じている事に成る、この感じるが現代ではパワーハラだと言われる・・・

怖い・怖い、人と関わる事が、怖い・怖い世界に成っている事に成る。

庶民が、バラバラに成って行く、これは、力が有る、権力者には都合が良い方向に成る。

しかし、この部分が、生き過ぎると、社会が崩壊する・・・権力者も崩壊する、国も崩壊する・・・・

終戦後、どん底から、勿論、名も無き・力も無き人達が、立ち上がろうと歯をくいしばった・・・勿論、背に乗せているものは多々あったが、立とうとすれば、又乗ってくる人も居るが、それに負けず立ち前に進んだから今の日本が有る。

当事者として、又与える立場に成らなければと言う思いで、進んだ、之こそが威風堂々と私は考えている。

しかし、現代は、与えられる立場を望み、与える側の吟味をしている。情けない世界だと思う・・・



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