必死,我武者羅にという、言葉を耳にして・・・・どう感じるか・・・無理をして、出来ない事も前に進めようと、努力している事を私は、イメージする。
之をもっと、深く考えれば、仮にルールが有る、このルールに則して、行動した事を、必死や我武者羅と言うか????
私は、言わないと思う・・・・・
仮に、愛情と言うのか解らないが、子供が病気に成れば、必死に病院を探すし、時間外でも無理して、看てもらおうと努力する、之が、親だと思う・・・
しかし、良く考えると、ルール違反に成る。
ルールを守る、之は大事な事だと思うが、其れ以上大事な部分が有ると私は考えている。
仮に、水泳をする、ルールが有るとする・・・水着に着替え・準備体操をして、水に入る、勿論、自分の体調を最初に考えてに成る。
しかし、目の前に溺れている人が居る・・・このルールを考えて行動するか???
自分の事より、溺れている相手の事を考えて、救う為には????之を必死に考えると思う。
世の中で、起きている、事は、全てがルールに沿って、解決する問題と、そうでない場合が有る。
私は恵まれて要るのか???色んな分野に知り合いが居るから、電話等々で、助言を頂ける。
しかし、この部分が無ければ、当然、自分の頭で考えての行動に成る。
医療関係の知り合いが居ないなら、必死に思うので、子供が何故熱が有る、之自体が大問題と捉えてしまえば、当然、救急車を呼ぶ・・・・病気に無知だし、子供の事も無知と成れば、仕方が無い・・・・しかし、軽い病で、救急車を呼んだと、問題に成る。
結局は、人の繋がり、縁が無い為に、聞く・助言を頂く人が居なければ仕方がない。
この様な、人を創れと言う、指導も無いし、教育も無いなら、仕方がない。
この様な事が、問題と、又ルール化をする流れも存在している。
人とは、誰しも知っている・又常識・普通と言えば、知らない・教えて下さいと言える人は少ない、解ってるか???と質問しても、空返事で解っていると答えるしか出来ないのが、現代に成る。
結局は、知らない事が多々増えている事に成る。
私はスマホで、電話を取る、之も出来ない・・・しかし、こんな簡単な事と言う人が多い・・・しかし厳然と知らなければ、聞くしかないし・・・恥を承知で、教えて下さいと言うしか答えが無い。
私は無知で、三流だから、之を前面に出していれば、聞く事は宦官だし、不思議にその部分に長けている人に、聞くと、私を覚えて頂く、一石二鳥の結果に成る。
しかし、不思議である。若し、肩書きや権威が有る立場が、このルールを外れると、一気に叩かれだす。
子の人が大事だから、ツイツイ、熱が籠った、之が許されなくなる。
四男が、仕事を辞めた理由が、この部分に成る。周りが四男に対して、必死さや我武者羅感を感じなかったから、俺は要らない立場と勝手に思い込んでいる。
勿論、人により、対応も変わるし、感じ方も変わる・・・この部分をルール化する自体が不思議だし、ナンセンスだと私は考えている。
失敗したら、怒られる、この怒られるも、色々有るし、感じ方も人其々、又、人の関係性、時間軸を今だけと限定も出来ないし、過去の時間軸も含めて、考える事が必要だが、ルールを作る場合、この時間軸が難しウ、今の言動が問題に成り易い・・・
当然、聞く側の考え思いも有るし、逆に、言う側の考え、思いも有る筈。
この部分も問題となれば、全て文書化して、書面で出す方向に向かう事に成る。
当然、文書化だから、感情をどの程度、含めるかも難しいし、この量で、又、ルール違反等々が出て来る。
私が考える、現代のルールは、人との繋がりを断つ方向に向かっているし、人の心・思い、之をどう表現したらよいかが難しく成っている。
私は、三流だから、その分、気が楽・・・・・・
ルールを違反しても、必死だったから、緊急だったから、我武者羅に行動をした、結果問題が有れば、頭を下げますで済む。
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