2018年9月3日月曜日

先輩・・同級生・・・立て続けて来訪・・・

一歳年上の、先輩が来訪・・・・世間の現状を話していたら・・・

私の地域で社長をしている。同級生も来訪された。

急に忙しく成ったが・・・・・・三流で金欠な私に、合いに来て頂く・・・之自体が、感謝に成る。

今日の話で、歳が近い、我々はお互いの欠点も知っているし、逆に今までの振る舞いも知っている。

その為に、自業自得と捉える価値観が有るし・・・変に近い立場だと、成る様に成ったと割り切り、手を貸す等々の、事が出来難い立場に成る。

私も困ったチャンの老婆を看取ったが、その老婆に近い立場の人なら、自業自得と割り切った考えが、最初に出て来る。

しかし、遠くに居たから、結果的に、可哀そうが先に出て、行動が出来た部分が有る等々、話していた。

勿論、私だけかもしれないが・・・・余りにも近い場合、何故か、可哀そう等々の慈悲の心が出難い・・・・

以前、私の地域も、水害被害が出た・・・お客さん等々も被害に合われたが、その対処は、当然、確りするが、基金等々の募金をしたかと言えば、していない。

しかし、少し離れて、知合い等々居ない地域に成ると、以前の水害被害を見ている為に、大変だな~~~~可哀そう~~~~等々で、微々たる、金額だが、募金したいと何故か思う。

不思議な行動パターンと私は考えている。


人とは、主体者と受身側が居る・・・・しかし、その間が非常に大事に私は考えている。

世の中、立場が有る人が居る、仮に地域で言えば、区長が居るし、民生員が居る。

しかし、立場が有る人の、本心を離すか????此処に疑問が有る。

立場で、動く人も居るし、人柄で動く人も居る。

現代は、立場の肩書が直ぐ前に出て来る・・・・結果、本音を言わない方向が強い・・・

会社も同じで、上司としての肩書が、直ぐに頭に浮かべば、その立場に対しての応対となる。
結果、本音が解らないから、本当の意味での、掌握しているか????、疑問に成る。

昔から、肩書きが有る場合、右腕や左腕やと言われる、簡単に書けば、下働きをする立場が必要だが・・・・この見えない立場を望む人が少なく成っている。

結果、人の繋がりを、細く、切れそうになっている。


親子間でも同じ・・・近いから、本音を言えない・・・又、親としての肩書が邪魔して格好良い事しか言えない、結果的に本音を言っていないから、子供から本音を聞けないと成る。

何度か、年上の先輩等々を創れと私は書いている。

この親子間の、隙間を埋める、立場に成って頂く事が出来る場合が有る。

昔は、この様な立場が大事だし、認められていた・・・結果、綺麗事の建前が有っても、現実と埋める為の立場が有った。

しかし、この埋める立場が無くなれば、当然、建前論が、ルールとしての決まりに成って行く・・何故か、建前論を否定出来難いからに成る。

しかし、現実は、綺麗事で済まない事も多々ある。

無名な一市民の行動なら、許せるが・・・立場等々が有れば、出来な部分が多々あるし、之が建前に成っていたが・・・・今はルールとして厳格化している。

行政等々は、平等にを建前としている。今はルール的に成っている・・・しかし、現実の困ったチャンは個人の問題に成る。

行政は動かない・・・誰かが、このルールから状態された立場がする事に成る。

之が現代の場合、一般市見人に成っている。

平等と言う考えが有るので・・・何事も先に進まない方向に成る。

緊急性と言っても・・・・介護出来る立場の人が居れば、その様な立場の家庭は多い、その他大勢として片付けられる。若し、介護出来る立場の人が居ないと成れば、直ぐに対処方向に向かう・・・

しかし、介護出来る立場が居ない、人が、自分の足で、行政に相談に行けるか???・・・正直出来ない・・・結果、孤独死に向かう。

子の立場でも、同じ事が言える・・・遠くに居る親に対して、心配だから、電話をして、確認しているが、先に書いた親としての立場を感じて、又格好良さを子供に見せたいと言う欲が有れば、本音を子供達には言わない・・・その為に、一週間前に電話した時は、変わりは無いと言っていたのに・・・と・・・成る。

何時も書いているが、第三者と言う立場を考え、使う事に成る・・・・隣の人に電話で、状況等々を、確認する、この様な方法も有る。

当然、孤独死からは少しは遠ざかるが・・・その分、病気等で、病院に行く事が増える、その際、保証人等々の書面が有るが、その部分も近所の人に頼んでいれば・・・・・直ぐに駆けつける事が出来ない距離なら大事だと私は考えている。

親子としての縁は切れないが・・・地域社会との縁も切れないと言う事に成る。

之が解れば、地域社会の大事さも解りだす。

しかし、この繋がりを断とうとする流れも厳然と存在している。

之から必用な立場が、名も無き、無名のリーダー的立場に成る。肩書等々は無い・・・・

逆に肩書が有れば、相手が、通り一遍の返事しかしない方向に成る。

結局は、建前論とは、平等等の部分から出て来る・・・しかし、現実は、違うし、困る人が居れば、楽勝の人も居る・・・誰が手を必用としているか???当然、困った人に成るが、建前論程度の時は、隠れて出来るが・・・之が問題となり・・・ルール化されると、結果的に出来ない、又しない事を当然と言える立場に成る。

之が意味する事は、立場が有る人は、何も出来ないと成るし・・・・全てルールが有るからで、終わらせる事も出来る。

簡単に書けば、立場が有る人の仕事を減らす事に成る。

要は、人との繋がりや縁・・・之さえ、唯物論的、価値観で考えている事に成る。
本来は、唯心論的、価値観で判断する部分も有るが、心の為に、尺度が各自で違う為に、ルール化し難い、結果、誰も考えない方向に成る。

先に書いたが、隣の人に親を頼む事に成れば、当然、人の繋がり、縁等々がどうかに成る・・・ルールや基準で決める事が出来ない部分に成る。

疎遠な振る舞いをしていれば、当然、頼む事も出来ない。

この縁をどう考えているかが、大事に成るが、この部分を教える、教育が無いのが現実に成る。

誰しも、今は良いかも知れない、之は今と言う限定した時間軸でに成る。
しかし、十年後・二十年後も人間なら想像が付くと思う・・・・その準備は当然する。

しかし、人は不思議である、今と言う時間軸で考えていない・・・過去の時間軸でも判断している。
急に、今からと言っても、ダメな事は解る筈。

だから、何度も書くが、日頃の振る舞いが大事だと言う事に成る。

又、離れた場所に居る、後継者意識が有る人も大事だと言う事・・・・近過ぎるから出来ない部分も多々ある。

結果、沢山の後継者が必要と言う事に成る。
その為の、努力、振る舞いをしているかが、私の将来に大きく関係して行くる。

今日は、時間を要したが、色々話が出来、感謝している。

労務士の先輩と、地域で社長業をしている、同級生との話で、三流の私が色々、言う必要も無いと思うが、この様な事を話した。




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