2024年2月8日木曜日

己の住む場を・・・・・

 現代・・・己の分以上の事が出来る事が良い事、幸せな事と教わる傾向が強い・・・分以上の事が出来る為にも、力を付ける・・この様な教育に成っている。

何度が書いているが、人は成長時期と後退時期が有る・・・一定ではないし、当然、望まなくても、成長時期が有れば、当然、後退時期も有る・・・

仏教思想の中に・・・人は各々、命がレベルが違う・・この命のレベルが求めている環境・世界を望む傾向が有ると言う事・・・

要は、分相応の環境が有ると言う事に成る。

緊張し・戦い続ける事で、得れる環境なら、当然、それを続ける必要性が有る。又、幸せ幸福の捉え方も各自で違う・・・これも、己の体調でも変わる部分である・・・戦える時と、休まなければらない時とが、人間・生物だから有る。平時に時に一番居心地が良い、場所、此処が私は己が住む場所だと考えている。

どの場所・環境を良くしたいのか????・・・私は、差別主義者だし当然、自分が住む環境を良くしたいと思うし、その為に、尽力惜しまない・・・

しかし、最近の傾向は、分以上に粉飾し、己の住む世界は上層世界とその世界に尽くし続ける・・・・当然、粉飾した行動なので、限界が来るし、キツクなる・・・最終的に零れ落ちる・・一般的に言われる、負け組と言う立場に成ると言う事、これは本来、己の分に戻っただけ、しかし、己の分を認めきれないし、その環境を整えようとも努力してないし、今までは馬鹿にしていた世界・・・当然、身は楽だが、己の価値観が許さないと言う方向に成り、心のバランスを壊してしまう可能性が高くなる。

例として挙げる・・・心・命が地獄レベル・・・しかし、見せかけ環境は天国を求める・・・現実の天国に環境に身を置けば、堪えれるか????・・・よくよく考えれば耐え難い環境と成ると思う。この環境を受け入れれる度量が心・命にない・・・・お邪魔しているだけ・・・遊びの場程度に成る・・・・

己が一番、居心地が良いと感じる場所・・・・そこが己の住む場所であるし、その場所をどう変えるか???・・それを感じ、実践し続ける事が大事だと私は考えている。

私は、鬼畜の命が強い、要は、地獄の様な、人の足を引っ張っても己は~~~と言う世界が私は好むタイプに成る。しかし、その世界で、今の私、勝ち残れるか????・・・・老いているし病に侵されている・・・当然、生き残れない・・・これに気付いたから、己の鬼畜の命を消さなければと言うのが、今の私の闘いに成る・・・・

本来、負が有るか、処理する為に人が居る・・人間の存在が有ると言う捉え方が有る。しかし、現代は、利が有るから、人が集まってくる・・・人を集めて何が目的なのか???当然、搾取が目的・・・この様な社会システムは・・・集団の目的は、全て利に成っている。この部部が、勝ち負け論・敵味方論・・勝てば正義・負ければ悪・・・これで人を縛り付けて、システムを維持している、囲い込みの手段と言う事・・・

当然、他のシステムの世界を見て、その方が利が有ると思えば、人は簡単に、移る、囲い込みを行っている側には都合が悪い・・・・

利が見えるな、それ以上の負が有ると、先導・洗脳する方向に向かう・・・囲い込みの一番簡単な方法に成る。

之も、利を求めると言う、方向だけしか価値観を学んでいないからに成る。負を求める価値観も有ると言う事・・・このバランスが整っているのが人間と言う事・・・・・

背伸びをして、金持ちが集まる世界に、粉飾し飾り立てた身を見せて入って行き、その世界に奉仕・・・・しかし、無理しているので、その世界に留まる事が出来ず、己の分に戻ってくる。その時、己の分に奉仕していない結果、当然、居心地が悪いに不満しかない・・・己が悪いのだが、社会が悪い、システムが悪いと、他に席んん転換・・・これでは社会は良く成らない。

与えられた、己の分・・・その分の環境を先ずは整える事が、己の使命だと言う事に成る。

私は、その環境が感謝の思いで溢れている事を望んでいる。高望みでない、己の分に応じた場所がに成る。背伸びして上の世界に奉仕しても感謝の念が持てないと思う。最後は廃棄される・・恨みが募るだけの世界に成る。それより、分相応の世界で、尽くす、これが本来の姿だと私は考えている。

何が幸せ・幸福かは、各自違う・・・・決して物質・唯物的に勝ち負け論等々で幸せが決まる訳では無い。

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