浄化槽の・・・エアーパイプが潰れていると言う連絡が管理会社から有った。
去年も同じ、故障が有ったが、修理したという捉え方をしていたが・・・同じ場所が壊れたと言う事・・・・何故と成る、私も修理人・・・壊れる原因を考え対処して処理する・・・此を私は修理だと思っている。
しかし、よくよく尋ねると管理会社なので、完璧な修理は行っていない、応急処置で対処していたと言う事、私が耳にした修理が終ったと意味が違うことを尋ねたが、応えてくれなかった・・・・要は、修理するには設備屋に依頼する事に成る。
本来、浄化槽に向かう、エアの塩ビパイプ・・・地面に埋まっている部分が潰れているようだ・・・掘り起こして修理・潰れないように処置して終了、難しい作業では無いが、私の今の体だと、地面を掘る無理で有る。
勿論、息子達が手伝えば可能だが、手伝うとは思えないので、近所の設備屋に依頼・・・・
息子達にも、浄化槽の上には車を止めるな言っているが、言うことを聞かない、特にRV車というのか、四駆の大きな車で来訪する友達も、居るので、注意をしているが、如何しても、浄化槽の上に駐車してしまうようだ・・・・
金欠の私には辛い出費になる。息子達に少しは責任が有るので、請求しも逃げる方向には頭の回転が速いので、無理だと思う。
我家でもこの様な状況・・・社会全体を見て、負の部分の処理・・・誰が処理し片付けていくのか???・・・その様な人材の輩出は行っているのか????、その前に、その様に価値観の人を育てているのか????
汚く・キツク・白い目で見られる立場・・・此を喜んでするという人を創るしか、未来に繋がらない・・・此を怠れば、未来は闇、崩壊になる。
勿論、立派な格好、綺麗な格好でも良い・・・大事なのは振舞・・・言動・・・・私の場合、汚れても良い格好は、当然、収入に応じて金欠のためにボロボロの服装になるし、その作業が常時なので、その格好を続けている。
それ程、後片付け、尻拭きが多々有ると言う事になる。
生きて、動ける間は私が出来るが、私が出来なくなったら・・・不安が過る、後継者を育てていない事に成る。
己が倒れたら、誰が私を背負って、前に進めてくれるのか????・・・誰も居ないとなれば、悲しい人生とも言えるし、それが生きた最終的な結果だったと言う事になる。
唯物的部分は、絵に描いた餅・・・幻・・・私はその様に考えている。命のバトンを繋いでいく、その中で、思いも繋いでいく・・・此が生きる事だと私は考えている。
生きる為の手段として、お金が必要と言うだけ・・・・お金が有るから生きているわけで無い・・・・
お金は命を、輝かせるために有る・・・間違っても命を無くすためのお金で無い・・・・
近所の設備屋から修理後、幾ら請求があるのか?????不安で楽しみでもある。
マダマダ、剥ぎ取られるものが有ると言うだけで幸せで有る。剥ぎ取る物も無くなれば、当然、無用に成る・・・廃棄される。
此が現代の社会と言うことに成らない様に、人を育てなければと考えています。
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