最近、二極化に向かい・・・間の部分、グレー部分とも言われるが、それが、ない状態に向かっている。
私は、思うように成らない毎日を過してるが、不幸だとは思ったことも無いし・・・又、血を分けた我子さえ思うように成らない時代なのに、他人様・世間・社会が思うようになるとは、思えないし、到底不可能だと思っている。
しかし、この思うように成らない人達・社会と共に生きているために、責務が有る。我子が起した問題は本人が対処できなければ、責務を背負う事に成るし、これが、普通だと思う・・・仕方が無いことに成る。
しかし、最近、仕方が無いこの言葉自体が、負けや・諦めや・敗者の言葉等思っている人も居る。結果、仕方が無いと言う言葉も出したくないとなれば、先に書いた二極の二つに綺麗に分かれてしまう、環境に成るという事に成る。
私が行なっている、責務は、基本、仕方が無いと言うレベルの部分が多い、この仕方が無いという部分を、己が担うか、放置するか・・・これで、環境も変わりだすし、己の価値観まで変わり出す。
本ら、己の責務で無いが・・・・・問題が有る、誰が責務を背負うのか、当事者となるが、当事者を探し出すのも大変だし、探したとしても対処するかは解らない・・・それなら、気付いた己が行なった方が早いし、楽だと言う事に成る。勿論、責務が有るわけで無いが、仕方が無いと責務を担うという事に成る。
これが、本来の仕方が無いと言う、意味だと私は思っているが、様は、その様な事が嫌、したくないから、綺麗な言葉で、この様な事を負けや、損や等々の、負のイメージを多々、並べてしないという理屈を作っているだけに成る。
本当に負なのか???私は、利にも成ると考えている。
現代は、思うように成る為に、力や肩書きを欲しがっている時代、しかし、現実にそのレベルに成っても、思うように成らないと必ず成ると私は思う。仕方が無いと言う、捉え方、処理の仕方が、バランスを保つ一番良い方法だと私は、思うし、長い日本の歴史から得た、知恵だと思う。
何度も書くが、白黒をハッキリさせて、何が意味が有り、ものが育ち増えるのか・・・発展するのか???・・・私は、逆に崩壊・破滅に向かうと考えている。
西欧列強の歴史を見れば、二極・白黒・等々の争いで、破滅・破滅・破滅を繰り返している・・・歴史が長く、文化の継承が続く、当然、知恵の継承も続く日本国の、良い部分も学ぶべきだと私は思う。
白黒をハッキリされると言う事は、敵味方論になる。敵は???・・見方は????・・・各々の考え方が色々有ると思うが、取り扱い方は必然的に違うと思う。違うのに、何故か、平等主義者と口から吐いている。
厳しく言えば、神も悪魔も同じ権利が有ると言う事・・・・その違いが有ると思う事態が、差別になる。
私は差別主義者の為に、当然、有るが・・・出来るだけ、バランスを保ちたいと、グレーな部分の仕方が無いと言う捉え方を多々している。
勿論、仕方が無いと成ったら、己が出来る責務を果たすことになる。
問題の責務を背負うか、背負わないか????・・・この部分の価値観が仕方が無いと言う言葉に対しての捉え方の違いになる。
己の責務なら当然と思うなら、他人の責務も、背負える力が有ると言う事、勿論、私は背負いたくないので、積極的には出来ない、その為に仕方が無いと言うレベルで行なう事に成る。
今までの私の経験で、仕方が無いて片付ける事が出来ないと怒り出す、又は逃げ出す人は、己の責務も放棄する人に多い様に思える。
要は、卑怯な人が居るという事に成る。
鬼畜以下とも言える。
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