二階の階段踊り場の片付けは済んだ・・・その場から、吹き抜けになっている、玄関を見下ろすと・・・・シャンデリアの電源コードに埃が多々付いている・・・急に気になりだした。
この家が出来てから約45年・・・手が届き難いので掃除等、殆ど行っていない・・・・若い頃は、殆ど気にもならなかった・・・最近、戸の開け閉め・電灯の点け消し・等々が気になりだした。
家族から爺に似てきたと言われるが・・・トイレの蓋を開けっぱなしも気になるので、ついつい口から出てしまう。その都度、言われること、爺に似てきた。
稼げる自信が無くなったのか???・・・些細な事でも勿体ないが直ぐに出てくる。稼げるときはこの程度の事と片付けたことも、気になり出す。
今回の、シャンデリアの埃の件も、昔なら気付かなかったと思うし、現に掃除等行っていない・・・気付くという事は、己の実力が弱くなった為だと思う。此も、駄目な鬼畜の為とも思う。本来、優れていて優秀なら、人が気付かない、見つけきれない部分さえ、瞬時に気付く能力が有ると思うが、私の場合、優秀と言う事が、些細な事には気を向けないという、傲慢な、独裁者的な本質が有ると言う事になる。
この様な本性の人間は、人の前を走ってはいけない・・・人の後ろを歩く程度で十分だし、何か落ちていればその処理を続ける事で良い立場と言う事に成る。
己が気持ちよい、趣向に合う世界には、先に書いた様に、覚悟も勇気も必要とせず、向かうことが出来る。
覚悟・勇気が必要な方向、各自で違うと思うが、私の場合、下働き等々の尻拭き作業になる。鬼畜として、人以下の立場だが、何故か、この様な仕事は下々の仕事と思っている事態が、傲慢さになるし、独裁者の素質が高いし、西欧・大陸・一神教的な価値観に毒されていることにも成る。
如何しても差別を生む価値観、その為に、口では平等を吐くが、理由は、この独裁者的本質を隠す手段だという事・・・・様は、痛くも痒くも無い人には後勝手にと言っているだけで、己と関係性が深く、責任・義務等の関係性も強く成ると、話が違うとなり出す。此が前提で、綺麗事を言い続けることが出来るという事は、己に近い、義務・責任を感じている己以外が居ないという人に成る。
私は、それに比べると、家族が有るし、子供も孫も世間様より少し多く持って居る。その為に、子も大事だし、孫は、それ以上に大事に捉えている。当然、他人様とは差別が有る。
私が何時も危惧することは、綺麗事を言う事は、結果として人間の宿命・宿業も、出せない事に向かう・・・生命がこの世に生まれた、目的が達成できない、単に言えば、機械と同じという事に成る。ロボットと言う事・・・己と他と二局、この世界と言うことになる。
私は、人として生まれ、アナログの世界に居る。無限に広がる価値観が有るし、命も有る。当然、多々の違いが有る・・その各々が未来に向かって、生きている・・・この生命の因果も厳然と行い処理を続けているから、命のリレーが続いている。
このリレーに参加続ける・・此も、生命の目的だと私は考えている。勿論、淘汰される場合も出てくる。それは、環境にマッチできない対応できない生命側も問題に成る・・・しかし、何故、マッチ・対応するのか、当然、生きる為だし、生きるという事はリレー続ける、駅伝みたいにバトンを渡し続ける事に成る。この生命の基本部分さえ、人間の傲慢さ・・の、平等という言葉で、摂理まで曲げる事に向かっている。
獅子は我子を千尋の谷から落とすと言われる。様は、一人前の獅子にするために、甘やかすことは簡単だが、獅子だから厳しい方向を選ぶという事に成る。
動物の獅子さえ行っている。その動物界の頂点に居ると言われる人間・・・どう子供、人間を育てているのか????・・・問われ出す時代になってきている。
私の息子達も、厳しくと思っていたが、甘やかして育っている。その為に、嫁に選ぶには、間違ってもお嬢様は選ぶなと言っている。選ぶなら奴隷のような環境で育ち、それでも良いと思えるような女性にしなさいと、そうで無ければ、喧嘩が絶えない、夫婦になる。
要は、神輿の上で座布団に座って指図する要は子に成っているので、黙って、徹して担ぎ続ける、打たれ強い女性が必要という事、そうで無ければバランスが取れないし、バランスが来られた状態で続くと成れば、その周りに大きく迷惑を与えていることになる。
しかし、出来ない、しない、解らない・・・このスタンスで、表面だけは、一流を演じ続ける、理解力が有る姿を見えているだけで通用する世界に、世の中が向かっていることが危惧になる。
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