6時前・・・村内を歩け・歩けと考え・・家を出た・・今、我村は昔は田舎の田舎と言われていたが・・幹線道路等の整備が進み・・・部落を囲むように、歩道が付いた道が整備されている。この道だと安全だし、車の往来も有るので・・・私が倒れた場合も、誰が気付いてくるのでは???と思い、この道を使って、村の外周を歩こうと、歩き出した。
最初に、我村、この地域では一番古い、神社が有る。昭和31年に祖母方と言っても、祖父と従弟だが・・・祖母の両親・・祖父母・・私から見れば、大叔父の名前が有る、賽銭箱等が多々有る事。宮司から聞いた事が有るのを思い出し、多くの奉納をされていた祖父母に対しお礼も含め生き残った報告をしてきた。
しかし、父は、一番貧しく・・貧乏生活で難儀していたと言うのが、口癖・・・柳川に帰って来てからに成るが、その前が、終戦時に、モーターボート等で遊んでいた人・・・雲泥の差に感じたのもしかたが無いし・・・年齢的に、祖父母が48歳の子に成る・・・私も遅く五男を儲けたが・・・41歳位だった・・出産をする母親が48歳・・これも疑問があるし、昔、父方の親戚に聞いた事が有るが、力を付ければ、警察・行政・国さえ、思う様に指示できる。犯罪も金次第と言う事を聞いたいい、その事実を教えても貰っているので・・・戦死した、兄、父との歳の差24歳・・・叔父が出征した時頃に、父が生まれたと言う事に成るし・・・その当時、祖父は、国の為と、軍馬を無料で育てる。之を趣味・日課にしていた人・・戦局が悪くなったから、赤紙での招集・・戦争が負ければ、軍との繋がりが問題に成るし、その地域で、一気に儲け為に、ひがみも有るし・・・この地を叔父の戦意を知って、離れられている。
要は、その後は、戦犯先般扱いに成る可能性が有ると言う事・・・
色々、祖父母の父の育て方を知り・又・親族の父の扱い方を見ると・・・私の感覚だと、不憫している孫の様で、可哀そう・可愛いが・直ぐに出て来て、煩悩のままに育てる可能性が有るとも考える様に成っている。理由は、祖父母は、預かった子も、一人前の商売人に育てている。兄弟の子に成るが・・我子として育ててある。
要は、実子でも無い子を、数人育てられているし、祖母の体の問題なのか、数人、我子を、幼くして失くして居られる・・・この様な人が母親で、48歳くらいで出産????・・・最近、過去帳等を見直すおすと、不思議な点が幾つかある。
何故、祖父母が、目に入れても痛くないと言われ孫の様な育て方をしたのか???この疑問が少し、溶けそうになって来た。
何故、オヤジは、父方の親族の中では、一番、上の座に案内されるのか???・・・聞いても、私の祖父母、先祖に多くの恩義理が有るからと言われるが・・・余りにも 不思議な事が多い・・昔なら、お殿様扱いに私には見える。
之が、結果として、父の我儘の原因だし、医師から言われた通り・・・精神疾患と言うより、親や環境からの育てられ方・・・と・・言われていたのが理解できるようい成ってきた。
話は、逸れたが・・・その後、納骨堂が有る、当然、挨拶・報告に伺った。
その後は、1時間以上経ったので、ショートカットで、自宅に向かったが・・・約2キロの距離を歩く事が出来たが・・・一時間強で、二キロ・・体力的に之が限界の速さに成る。
今後、この距離をもう少し伸ばし、スピードのUPも挑戦したいと考えています。
0 件のコメント:
コメントを投稿