2021年6月25日金曜日

感謝・・・・

 

昨晩、地域内のスーパーに夜伺う時に、気付いたのだが・・・・

私が、除草作業を行っていた、場所が、奇麗い、除草されていた。

私は、個人レベルの為に、除草剤を散布する程度・・・・行政は機械を使い、刈り取った草も撤去されていた。

一ヵ月ほど、この作業を個人的に行っていた。

変な顔をして、通り過ぎる車等々も有ったし、パトカーも数回、私の姿を見て、通り過ぎている。

歩道に駐車しているので、指摘を受けると思っていたが、見逃してくれている。これも感謝と思う。

若ければ、我家から、歩いて現場に行けるが、この歳に成ると、その元気が無い、機材を持ってと成れば、尚更に成る。

之で、危惧していた部分も、解決できる・・・・丈が高い、草や笹等々で、見通しが悪く、色んな意味で、危険が増えると思っていたし、私の行動が遅くて、結果的に、一台の車が、柵に激突、堀の方に転落している。

この部分は、前のブログで悔いているし、反省の部分と考えている。

昨晩、嫁とスーパーに行く途中に気付き、嫁から、意味が無かったね~~~と言われたが・・・・無意味に見えるが、行政がお金を使い、行ってくれたことで、私の思いを遂げることが出来たことに成る。私は感謝だと考えている。

多くの車が通るので、私の姿を見た人達も居る、その中に行政の人が居たら・・・動いてくれたと言う可能性も有る。

今まで、行政と色々関わってきたが・・・問題を提起しても、動こうとしない、要は何事も順序が有ると成る。

優先順位と言う事に成る。

問題が危険を生むと成れば、当然、当事者はそれに対しての行動を起こす、起こしても個人レベル、この振舞いが行政を動かす事が多い事は、色んな経験で私は得ている。

要は、言うだけでは駄目だと言う事・・・・

近所の高齢者の時も、他人の私が面倒を看ている、それも限界だし、今だけと言う限定して短い時間だから可能・・・私が限界を超える前に、対処と、お願いしたら、一週間で施設に入所できた。

勿論、色んな手続きで、保証人等々の部分が有るが、この様な振舞を行っているなら、行政も直ぐに、署名してくれる人を揃えられると言う、思いも有ると思う。

要は、我関せずで、放置する、この様な対応で、行政に依頼しても、優先した順位には成らないと言う事に成る。


行政は、個人の情報も、知っている、私の所得も分かるし、住まい、住まいの広さ等々、色んな事が解っている。

各自で負担する、部分を放置して、行政に依頼している等々、調べれば直ぐに判ると言う事に成る。

所得は普通でも、子育て中の、子が10人と成れば、当然、高齢者の親の介護等、出来ないと成る。

しかし、独身で、普通の所得・・・親の介護・・・行政の対応は分かると思う。

でも、独身は、己が働かなければ、普通の所得を得る事は出来ない・・親の介護をする時間が無いと言っても、親が介護が必要に成る事は、誰しも想像が出来る。

その為に、何を行っていたかと言う事に成る。意識も無く、単に生きていたと言うなら、当然、後に回されることに成る。

行政も人間である。当然、配慮・尊宅が有る。これが無ければ、人間でないと私は考えている。

地域が放置している、誰も、文句は言うが、対処をしない、この様な事を行う事が、行政サービスとは私は思わない・・・

地域の人が、頑張っているが、限界・その手助けがサービスと私は考えている。

本来、サービスと言う意味は、手助け、おまけ、と私は考えている。

行政の義務・責任とは言わない・・・・

子供的、発想だと、手助けを受ける事が当然と思っていることに成るし、その権利が有ると思い込んでいる。

個人レベルで出来る対応を、出来るだけ行った上での、お願いと言うのが、本来の姿だと私は考えている。

この部分を行わず、権利を主張する、この様な人も増えている。

己を、独裁者か大様だと思っているような振舞いに成る。

お願いが、命令と言う事に成る。

当然、命令、出来ても感謝の思いは無い・・・この様な事をサービスとは言わないと私は考えている。

サービスは、おまけ、それを感謝してくれるから、サービスが出来ると私は考えている。

最近、この部分をはき違えている人も増えている感じが私はする。

お願いに対しての労を労う(ねぎらう)当然に成る。しかし、命令は、労は見ていない結果有きで、結果が出ても、当然と成る。勿論、出なければ、罵ると言う事に成る。

人は人に命令できる身分かと考えている。仮に、管理職・肩書が有る・等々なら、何が有るのか、責任を取ると言う、覚悟と私は考えている。命令できる立場ではない・・・・

要は、家長と同じで、家の物が、人様に迷惑をお掛けしたら、その尻拭きを行う立場と言う事・・・・

この覚悟が無ければ、己の思いも伝えられないし、指示も出来ない・・・・

私が、世代交代を急ぐ望みが有ったのは、家長と言う場を早く引退し、隠居と言う立場を望んでいたからに成る。

肩書等、己を縛る十字架に感じていたからに成る。

親は子に対して命令を行っていないが、親と言う肩書が有る為に、子は命令と思い込み、強制と捉えている場合が有る。

肩書が、結果的に、この様に相手から捉えられる立場なら、肩書等無い方が、良いと私は考えている。

異端児の、三流の爺の能書き程度に捉えて貰った方が、気が楽になる。

全て、己が選んだ、道、方向・・・自業自得・・・その為に、色んな事を学ぶ必要も出て来る。この学べる、人様の話等が、必要と言う事だと私は考えている。

ただ、言えるのは、恨む方向より、感謝する方向の方が私は、良いと考えている。

感謝と捉えきれる、己を創る事に成る。








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