上の息子達は、私が力が有る時に、成人を向えた・・・勿論、無い時期が幼少期に成る。
その為に、一般に言われる、大人と言う、時にも協力が出来たし、まだまだ子供と、余裕を見せる事も私には出来た・・・・
しかし、四男は私が力が有った時に、幼少期を過ごしている。当然、親の力はこの時代のイメージが強い・・・・しかし、今、私は還暦に成る。
力も落ちるし、全盛期と言う時ではない、大人を宣言したらが、直ぐい大人の対応を取らざるおえない力しか私には無いと言う事に成る。
しかし、四男は理解できないともうから、強くあしらう事に成る・・・
勿論、現代は、変化が許されない・・・普通は???と言う、機銃が有る・・・年齢等の介入できる状態ではない・・・要は、歳に関係なく、環境に関係なく、親とは・・・・この基準が有る。
勿論、私は子の普通の立場で無い事を、日頃から自称しているが、それでも、普通と言う基準を四男も持っていると言う事に成る。
その為に、私は普通で無い、力が無い、三流と言い続けていたが、その様に思っていない事に成る。
それなら、二流や一流の人を頼れと思うが、それも行わない彼の、現実を知っていると言う事にも成るが、それを、普通とは思っていない様だ・・・・
何故、普通を装うとするのか????・・・出来ない分は、出来ない、不得意な事も出来ない、これを正直に自称しているなら、問題も感じないと思うが、この部分さえ粉飾しているのが、四男と言う事に成る。
誰を真似しているのか????当然、私で無いと言う事は解るが、それなら誰なのか???
この部分が疑問に成る。
以前は、子供も多く、己の命も惜しいと思っていた。しかし、後一人を残し、全て成人させた。
己の命も惜しくも思え無くなって来ている・・還暦を迎え、思い残す部分は、三男、四男の五男の行く末に成るが・・・刺し違えても良いと思える様に成ってきている。
子育てとは、命を懸けた戦いと私は考えている。特に、力が無い三流の私の場合は、動物近い立場、命懸けに成るが、若い時は、少しは余裕が有ったので、そこまでの覚悟は無かったが・・・還暦を迎える歳に成ると、己の命も惜しまなくなってきた。
四男達の年代は、命を懸けた、指導・教育が必要だと思っている。凄く世間に甘えている。環境は与えられたものと言う、捉え方が強い・・・結果、次の環境も当然、与えられていると思っている。
己で築き上げて行くものと言う、重いが無い。
要は、悪魔的、鬼の存在が必要と言う事、誰が演じるのか????当然、嫌われて良いと言う覚悟の有る人に成る。
パワーハラ覚悟で、愛の鞭を打つ人の存在が求めらている事に成る。
しかし、誰も居ないと思うから、父親がそれを演じる事に成る。
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