昨日・・・叔父・叔母達と話す事が出来た。感謝に成る。
私は、話す、対話は基本、本音を聴きたいと・・・思っている。
現代、対面を気にして、あいさつ程度の話が多い・・・その為に、誰と話しても、違いが殆どない、個性が無い話と成る。
要は、誰しも耳障りが良いと思える、言葉を選んで話していると言う事に成る。
このペースで話を進めても、人の本音を聴く事が出来ない・・・私は、本音を聴くために、耳障りの悪い、言葉を選んで問いかける。
仕事柄、営業も行っていた、問題を言わせない、思いを言わせない方向の言葉を選ぶ事も出来る。
しかし、本音でない事を聴いても、結果として、問題は残り続ける。要は、その場を誤魔化す論法を駆使しても、問題の解決にはならないと言う事なる。
対話とは???・・・色々ある。大きく言えば、人と話す事も、対相手と話す事で、対話と言える。
しかし、私が考える対話とは、相手の本音・価値観を言わせる見る事を対話だと考えている。
相手の思いや価値観も感じられない、対話は無いと思うし・・・若し、之を対話と言うなら、私は、あいさつ程度の話と成る。
現代は、問題を表現できない、この様な流れに成っている。結果的に問題が表面化して居ない。表面化して居ないから、誰も気付かないし、それが普通と成ってしまっている。
結果、些細な問題を感じ、持っている事は、普通で無いと捉えてしまい・・・些細な問題だが、それを無くしたいと、逃げる・避ける等々を振舞いをしている。之が普通に近づくと思っている事に成る。
集団社会と言う、レベルで見れば、問題は殆ど無い・・・しかし、その分、個人が問題を抱え続ける方向に成っていると言う事にも成る。
要は、普通を演じている。又は粉飾しても普通を装っていると言う事に成る。
結果、言葉も考えも、己の思いで無く・・・普通ならこの様に話す・・これに合せて話していると言う事に成る。
又、マスコミ等も、普通の意見と思われるものを選んで、報道している。
今回の感染症の問題、私の考え方を話すと、必ず、他で言うな・・・異端児扱いを受けるからとアドバイスを受ける。
その際、私自身の考え、問題が有るなら、指摘をお願いするが、アドバイスを頂く、殆どの人が、俺もその様に思うが・・・・と・・言われる。本音????・・・解らないが・・・
要は、普通と思える、話をすれば、何故か、本音と違っても、耳障りを良いと感じる、傾向が有る様だ・・・しかし、普通が正しいか、間違っているかは別問題に成る。
普通が間違っていても・・それに従っていると言う、言葉、話に成れば、誰しも耳に取って、聞き心地が良いと言う事にも成る。
要は、考えない・フ~~~ン程度の話しか、耳には入らないと言う事・・この流れで、普通と思える部分で、之をすればモット、目立つ・得すると言う、言葉で、耳が聞き出す事に成る。
この様な状態を見ていると、人間とは、扇動や誘導に弱い動物と言う流れにも繋がる。
この部分も、ある先輩に尋ねたら、人は、損得勘定が支配している。
この損得は、己で完結していない・・・要は、周りと比べてと言う、対比で捉えている。
結果、損はしたく無い、要は、何もしたく無いと言う、部分が基本に有る。社会の中で生きている人間、基本は何もしないで、周りを見ている。それで感じる、己のポジションに不満が有れば・・・・社会の中でポジションを上げられると言う、言葉・話に耳を傾ける方向に成る。要は、得したいと言う多いが強いと、この程度の発想で有ると言う事に成る。
結果、得していると言う人の真似をすると言う事に成る。当然、得・正しいか???間違っている等々の部分を無視している。
この流れが、大変な事に向かう・・・・民主主義国家で有った、ドイツも、先の大戦では。ヒットラーと言う、独裁者を輩出した。
共産主義国家が、独裁者を輩出するとは限らない。
日本国は・・・一億人以上の個性が有る、人間の国である。当然、多々の考え方、価値観が共に生きている、国と言う事にも成る。
しかし、権力側は、民衆と言う立場を出来るだけ、一つに纏めたい・・・要は、個性も価値観も、一緒にしたいし、出来れば、一つが良いと言う事に成る。
若し、マスコミが権力側と己を思っているなら、視聴者の意見も、一つに纏めたいと考えだす。
この様な方向性が、力が有ると、思う側には有ると言う事・・・
しかし、悲しいかな、人間が創り出した集団・・・・人間は、失敗も間違いも起こす、又、生きる為には、色々な事が必要に成る・・・・
現代なら、お金本位主義に向っているので、最終的にはお金と成る。
要は、資本家と言うより、多くのお金を頂く人に、忖度しだすと言う事に成る。
若し、国家レベルで、人を扇動・誘導すると考えれば、基本に成る民衆は、己は普通であると思い込んでいる、結果的に、普通から外れる事を恐れる・・・人々で構成された民主主義国家なら、普通を創り出す側を・・・お金で忖度させる事が出来ると言う事にも成る。
マスコミも、スポンサーが有って、生業を行っている。結果的に、スポンサーに忖度している事に成る。
見える、形で、マスコミ会社と、スポンサー会社の、関係性、契約で事が進むし、この部分は、法律や道理等が最優先されるので、心配も少ないが・・・
問題は、マスコミも形成しているのは人間である。その人間個人のスポンサーが居ると成ると・・・・話は変わって来る。
私が怖いと思うのは、何の集団でも、そこで頭角を現す為の、力とは????
最終的には、お金に成ると言う事・・・若し、他の国家が、我国のリーダー達を、思い通りに動かしたいと考えたら、先ずは、個人のスポンサーと成る・・それでも無理なら、弱みを掴む、それでも無理と成れば、弱みを創り出す。
それでもダメな場合も有るので、その集団の中に、息の掛かった人を入れる、直ぐに頭角を表せるだけの、お金と、人とを与えれば、簡単に、集団の中枢に入る事が出来る。
特に、日本国、右に行くのが普通と、扇動すれば、誰しもが従う国に成る。
要は、ハンドルを握る側を、作れば、国を乗っ取ると言う事が出来ると言う事・・・・
しかし、救える部分が・・・有る・・・ハンドルを握る側は、そのポストに長く居れないと言うシステムが之を阻止している。
人には寿命が有ると言う部分にも成る。
その為に、問題は、普通と言う部分が、変わり続けている・・どの方向か????・・私が理想と思う共存共栄に向っているとは思えない・・・・
敵も味方も無い・・・好き嫌いも関係ないという、共存共栄・・・・
要は、大儀が薄れて来ていると言う事にも成る。
大儀が無ければ、敵味方が共存共栄とは思えない・・・大儀が有り、その目標を掲げて戦った、仲間と言う思いが無い・・・・・要は、全てが己の損得勘定が全てと言う価値観へ進んでいる事にも成る。
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