昨日までに、親戚等の仏さん参りが出来た。大事な正月の趣旨に成る。
先祖が帰って来ると言われる、正月とお盆・・・受け入れの為に、休みを取り、準備をする。
この部分をしてから・・・・お世話に成った、家の仏さんに参ると言う事に成る。
恩に報いる、最低限の事に成る・・・要は感謝の気持ちの表現の一つと言う事にも成る。
昨日までに、仕事の請求書も出来たので・・・今日、投函する予定である。
前から、21世紀は大変な時代に成ると書いて来た。普通と言われる部分が一気に崩壊に向う・・・何故かは、何度も書いている、普通のレベルが上がり過ぎた為と成る。
請求書を作ると、各、お客さんの売り上げも下がり続けている。又は、全く無くなっているお客さんも有る。
この部分も書いて居るが、右肩上がりが、普通だし、それを求めるのも普通・・・結果、商売等の生業は、時と共に、右肩上がりで、計画しているし、それが普通と言う考えに成っている。
要は、右肩下がりと言う部分を考えて居ないと言う事にも成る。
この部分は、「生老病死」の事にも言える・・・人は必ず、病に成るし、最終的に死ぬ・・この部分も考えないで、永遠性が有ると、信じているし、その様な振舞いが普通と成っている。
若し、己には永遠性が無い、しかし、永遠性を求めているなら、当然、後継者の育成等々が大事だと言う事も解るし、育てる為の環境が有るか???等々も、考えるのが私は普通だと思うが・・・この部分も無い・・・・
要は、妄想に取りつかれた・・・価値観が、正常化に向かう世紀だと私は考えている。
今さえ良ければ、この生き方が普通と成っている・・・・結果、見える部分、評価される部分にしか興味が無いと言う、価値観に成っている。
子育ても、肩書等々を求める教育に成っている。本来、世の中で生き抜く知恵を、教えるのが教育と私は考えている。世の中、子供が活躍する将来の世の中を想像して、その世で生きれる最低限の、生き抜く素手を教えるのが大事だと思うが、
この部分も、当然、人間・生物としての義務と責任は、当然、しなければ成らない・・・之を放棄する生き方は、間違っても教えてはダメだと私は考えているが・・・この部分も放棄する方が、楽だ、得だと教えている、現状が、結果的に、将来を大変な時代に向けている事にも成る。
これも何度が書いて居るが・・・若い頃、ある、地域では力の有る社長が私に言われた事だが・・・商売、50年続ければ、老舗に成る・・・しかし、何故、老舗と言われるのか????殆どが50年以内に潰れるからと言われた。
要は、店じまい・・・人間に例えれば、死ぬと言う事を意識して、考える事が大事だと言う事・・・当然、その前には病にも成る・・・この様な負の部分と思える、事を先ず、計画に入れている事が大事だと言う事・・・
又、趣旨と目的・・・何の為に、仕事・商売をするのか???・・・殆どが生きる為、食う為・・之が本音に成る。要は、家族を守り、養うために、仕事・商売をする。
この部分を忘れて、奇麗ごとを言い出すと・・・結果、先に書いた、己は病に合う・死ぬと言う部分も忘れてしまう。
要は、人間と言うレベルを超えた、普通が存在している事に成る。
屏風は広げると倒れる・・・・勿論、屏風の画を見せる事が屏風の対自な部分だが、本当の目的は、目隠し壁の役目・・・・序の部分に、屏風に描かれている絵が有ると言う事・・・
見せたい、立派と言われたいと、広げ過ぎれば、壁の役目は出来ず、倒れてしまう。
目隠し・壁が目的の屏風なら、倒れ難い広げたが大事に成るし・・当然、屏風の画は見え難い・・・・・壁の長さが足らなければ、ボロな屏風でも足す事で、目的は叶う・・・
しかし、この様な考えで、現代を生きれば、誰も見く向きもしない・・・蔑視間を感じると思うが・・・・私は仕方が無いと考えている。
要は、皆が期待する、普通と思う、屏風の広げ方をすれば、当然、屏風の画が大事に成り出す・・・立派・凄いと言われる、画を求めだす。之を普通と思っていたら・・・風が吹き、屏風が倒れそうになる。畳めば良いが、それも出来ない・・・之が今の現状と言う事にも成る。
1億もする屏風・・・畳めない理由は、蝶番が固着してしまっている。元々の目的、簡易的な目隠し・壁の役目から、屏風自体を見せる方向に変ってしまった為に起きる現象とも言える。
簡易的な事も、固定化している。
私は、良い事が、幻と考えるようにしている。悪い事が現実・・・
しかし、現代の風潮は、良い事が実力・現実と思い・・・悪い事を幻と考えている。
結果、危機感も、表面的に捉えている・・・しかし、生活に影響しだすと大変という事に成る。
今を見ると、生活と言う部分を考えないで良い、若者等は、実感の捉え方が違う。
私の息子も、若い時、周りの悪ガキがしていた仕事、鳶を行っていた。親として、孫請けの鳶・・・危険で死ぬと言い続けたが、当然、息子達は実感が無く、周りの友を誘い、鳶仲間を増やす・・・数年後、友が10階の足場から落ちて、死んだ・・・・一気に怖さを実感している。
親は、ヤット、仕事は始めた、又、出来ちゃった結婚もした・・・之で親としての責任の荷が軽くなったと思った瞬間・・・息子が死ぬ・・・この様な状況を見た、息子たちは、捉え方が変わった。
支え続けた親は????・・・保険・労災等々は、妻に行く・・・その後再婚している。
彼達も、色んな現実を経験し、捉え方が変わって来ている。
要は、実感がない、何に対して、負や悪い事に成る。
何故か???社会がこの部分を隠し・教えないからに成る。
人が老い・病に合う、この大変さも、当事者は解るが、それを見せ・教えていない。
人が死ぬ、この部分も見せ・教えていない・・・
今回の感染症でも書いているが、普通の風邪でも高齢者は死ぬ場合が有る。勿論、若い人でもたまに有る。
普通の風邪・・・何の防疫も行っていない・・当然、病院等も簡単に受け入れてくれるしかし、それでも死ぬ人が居る。
要は、病に成らない為の、自己防衛に成る・・・・私の父は長年、結核を患っていた。
昔の結核、今と違い、差別の対象に成る。当然、村はじき・・に成っていた。
保険制度も整っていない時代・・・養うために、父は血を吐きながら仕事を何年も続けていた。共に住む、私も含め、家族は、感染の危険性が高い・・・・
当然、マスクもしない・・・しかし、何故か、他の家族は、感染しないで済んだ。
父は、強制入院と言う形が、2年の予定で入院したが・・・・
要は、覚悟だと思う。生きる為に仕事をする・・・しかし、病、共に暮すものとしては・・仕方が無いし、病がうつってもと成る・・・・逃げらる???・・逃げられるだけ恵まれていると言う事・・・
私は、己のポジションをこの場と止める様にしている。理由は、私は恵まれた立場で無いと自覚が有るから・・・・
この思いが有ると、今の社会の現状を見ても、地獄図の様相に見える。
よく、負から・損から、逃げられない事を不幸と思う人が多い・・・・今の現状は、病から逃げられる現状である。人は、逃げる・避ける為に、右往左往している様に見える。
我先に、病から逃げる、その先頭に居る人が、優れている。恵まれ・幸せだと思っている。
結果、それに繋がる人が大勢いる・・・蜘蛛の糸の状態に成る。
要は、負や損から、逃げる生き方が、普通と言う現代に成っている。
それなら、負や損は、無くなる方向なのか????・・・・私は、増え続けていると考えている。
結果、益々、右往左往し、逃げ続ける人を増やし続けている。
21世紀に成ってから、有りえない・想定外と言う、天災が続いている。今回は病に成る。
これで、何を学ぶのか?????・・・学ばなければ、当然、今後、生き残る事が出来ないと言う事にも成る。
今後、来る、天変地異は・・・経済と私は考えている・・・お金本位主義が崩壊する。
労働に対する対価が、お金に成る・・・要は、額に汗を流した結果と言う事・・・
一日、額に汗を流し、それを続ければ、衣食住が整い・・当然、家族を養われる・・之が基本と私は考えている。
これが出来ない、状態に成っている。要は対価が少ないのか???貰った側の価値観の問題か???は解らないが・・・
逆に、楽して、多額を得る人も存在している。
これに対しての天罰が降る時が近づいていると私は考えている。
要は、真面目に愚直に、己の場を、徹して守り続けている人が評価されない・・当然、減り続ける。要は、いざと言う時に、人材が居ないと言う事・・・何が起きるか、責任転換論の論争、地獄図の様相の振舞に向かう・・・・
病が悪いのか????・・・その原因であるウィルスも生き残ろうと必死である・・・
人間は生き残る権利が有るのか????・・・その為には、他の命を奪っても良いのか????・・・・勿論、生き残る為には、殺生もやも得ないと思うが・・感謝の思いが無さ過ぎる。
要は、申し訳ないと言う、「頂きます」この精神が無くなっている。
宇宙・地球が・・・・・手を下す時が来ない事を祈るだけに成るが・・・必ず、来ると思う。
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