四日ぶりに孫が来訪・・・・二人の孫が、スクーターに乗りたいと、駄々をこねている。
代わる代わる、載せて、機嫌を保とうとするが・・・・自分が一番の年代・・・駄々をこねて、大変だ・・・・
その後、四男のエイプに目が行き・・・又、二人の乗り等々して、マフラーステーのネジが取れて、地面と接触するようになっている。
当然、修理もせずに放置状態・・・・四男は・・・・・と思って居たら・・・・
五男の使って居る自転車・・・・止まっている姿勢が斜めに成っている事に気付く・・・
嫁に聴くと、スタンドが硬くて、跳ね上がらないと言う・・・
結局は、私が修理に成る。
調べてみると、スタンドの視点に成る、ネジが取れているので、片側に傾いていた事に成るし、抵抗が強くて、スプリングで跳ね上げる構造だが、この機能が働ない状態だったという事
ネジは6mmで対応できたので、修理終了・・・・
工業系の、高校に行っている、五男、何を教わっているのか????
小学校、高学年でも解るレベル・・・・何故、修理と言う方向に頭が働かないのか???
この感覚が私には解らない・・・・押してもダメなら、引いてみる・・・この発想の転換が、出来ない。
自分勝手に思い込んでいる事を信じて、出来なければ、駄目と諦める。
人様から、悪足掻きと見られても・・・足掻く事は、私は、大事だと考えている。
足掻く事は、自分が無知だからに成る・・・足掻くから無知を埋める部分を学ぶ・・・
我が子だけと思うが・・・この足掻く事をする、これを否定する価値観を持っている。
優秀なら、足掻く事も少ないと思うが・・・・三流の親から生まれたと思えば、劣っていると思うのが普通だと私は思うし、劣っているから足掻く事も、当然と思うが・・・・
この行動を、恥ずかしいと捉える価値観を持っている。
仮に、悪足掻きと思える行動は、水に落ち、溺れた、しかし、助かりたいの一心で、足掻く・・・はたから見て、泳げない人なら、悪足掻きに見えるかもしれないが・・・この対処で、若し、助かれば、足掻く事も大事だと私は考えている。
当然、泳げれば、足掻く事もない・・・優秀ならという事に成る。
私は無知だから、色々、足掻く・・・之を、見方では創意工夫とも見える。
当然、失敗もするし、間違いも起こす、だから、創意工夫は一極でなく、多極から自分に相応しいものを探す作業に成る。
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