2019年7月31日水曜日

偉い・優れている・・・・

偉い・優れている・・・私は三流なので、若い時、この言葉を言われたくて、頑張っていた時が有る。

しかし、よくよく考えると・・・偉い????・・・・優れている????・・・何に???と成る。

無条件に、この言葉を憧れていた事に成る。
何故、憧れていたか????煩悩が深く、私利私欲が強い私の場合、このレベルは、楽に、色んな事が適えられる、ポジション・・・上げ善、据え膳をして頂ける立場と、勝手に考え・・・この立場に憧れていた事に成る。

しかし、昔から有る、説話や諺等々は、私が勝手に思っていた事と、逆の方向の振舞いをする、これが偉いや素ぐれて居る事と、成っている。

欲深い私には、到底その様な振舞いが出来る訳が無いと思うし、この時点、憧れを諦めた事に成る。

例とすると、近所の国に有る、将軍様の立場を望んでいた事に成る・・・・

我が国から見れば、悪魔の所業をする人に憧れていた事に成る。
自分自身が三流と言う証拠にも成る。

この様な私が親に成り・・・当然、子育てをした結果が・・・今の子供達の振舞いに成る。
時遅しである・・・・若い時に、沢山の苦労をして、経験値を高めていなかった結果となる。

目先の得を求め・・損得勘定も見える唯物的価値観で、生きた結果に成る。

裸で生まれ・・裸で死んで行く・・・この摂理も、無視した価値観で、物事を考えた、付けと成る。

気付いた時点から、修正を試みているが・・・遅すぎたという事に成る。

しかし、しなくてよい苦労を、買ってでも沢山出来れば、取り戻す事も不可能でないと思うが・・私に無い、強い精神力が必要に成る。




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