信頼と言う、単語・・・・意味が難しい・・・・
昔、書いたが・・・有る地域にガラの有る、酒屋が有り・・・何時も業者が集金に行っても、遅れる・・・有る時払いと言う感じのお店と・・・
真面目で、確りと支払う、お店と有ったが・・・・
真面目なお店が信頼が有ると思うが・・・・何故か、一度、支払いが遅れたが、一気に業者が手を引き、つぶれたと言う・・・・
ガラが有るお店は、当然、少々遅れても、商売を続け、競争相手が無くなった分、繁盛したという話になる。
この様な、話を聞いた後・・・信頼とは????と考える様になった。
最近、軽自動車の税金が元に戻った・・・優遇税制の適応を受けていたが、それが無くなり、正常に戻ったことに成る。
しかし、嫁は、税金が上がったと思っている。
国が、配慮して、優遇していた部分には、感謝の思いが無い事に成る。
結果、元に戻った事に、対して、怒りの感情が出ている事に成る。
本来、信頼とは、私の考えでは、その人の姿のままを信頼する事だと思う。
当然、嫌いな部分も含みでの信頼に成る。
しかし、世の中は、信頼を求めて、しているなら・・・当然、形で現せと成る。
この部分が、問題を作る事に成る。
之が、先に書いた真面目なお店と言う事に成る。結果、信頼される形を決め・・・それに準じる方向に成るが、この基準のハードルは、次第に上がり出す。
結果、分を超える、形を作った為に、破綻と成る。
信頼を形だと、思う志向が、この方向性を作っていると私は、考えている
世の中、好む人、好まざる人・・・・色んな人が居て、当然だ・・・しかし、全ての人に好まれる方向性を求める。之は不可能と私は考えている。
以前、信用と言う意味を、私なりに書いたが・・・・信用と言う事は、結果的に形に成る。その形を求めて、基準に準じているから、信用されると成るが・・・人は変化する事が、普通なのに・・・・之を基準に考えれば、今は信用した、しかし、次の瞬間は信用できないと成る。
私は、以前も人を信用しないと書いてきた・・・私の求める形に入る人等、居ないと思うし・・居ても、必ず変化する。
この様な、現実に対して、信用した結果は、当然、裏切られと成る。
信頼に止める・・・と・・・言う事は・・・形、等々に振り回せられないという事に成る。
私は、嫁を信頼している。当然、彼女の欠点・利点・・・人としての変化も含みに成る。
しかり、目が見える為に、直ぐに形が、頭を過り・・・自分の我が人を否定しよとする、命が私には有る。
この部分が有るので、三流の人間だと思う事に成る。
例として、人を信用すると、自分の我で期待感も出て来るし・・当然、それがエスカレートし続ける。このが私の悪い欲に成る。
こう有るべき論・・も・・レベルが上がり続けるし、結果的に形にしてしまう事で、基準化してしまう。
この基準に当てはまる、人間が居るのか?????・・・居ないと解ってても、理屈が優先する方向に成る。
之が、家族等々のう集団に、蔓延すれば、基準外の人が居る事が、有りえないと成るし、その様な人は、排除する方向に成る。
現実に、100点の人が居るか????・・・・居ない・・・・しかし、基準は100点で作られている。
私は、生きている・・・これ自体が、奇跡的、幸福だと考えている。
しかし、幸福感を、何故か、感じない・・・この部分が、私のレベルが低い為だと、考えている。
形に左右されやすい、人間と言う事に成る。
高等教育を受けた、優秀な人が多い世界で、何故、この方向に進むのか・・・・教育とは????と考える事に成る。
特に価値観が多様化する時代・・・この許容力も大きい人達と思うが・・・・逆に狭める教育なら・・・時代に即していないと思う。
この様に事を、書くのも・・・人様の話を、聞くと、信用していた・・次には裏切られたのフレーズが多い為に成る。
私は、学が無いので、現実を肌で、感じて・・・解釈するタイプに成る・・・・・信用と言う単語は、必ず、裏切られたと成る。
私は、自分さえ信用できない、低レベルの人間、人様を信用出来るわけがない・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿